平成29年 賀春の会

多くの来賓を招いて2017年「賀春の会」を行いました。

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野田前総理・長谷川船橋市議・鈴木町会長・母の会会長による鏡開き

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松戸市長のご挨拶

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乾杯のあと、江戸太神楽や先生たちの余興で宴席を盛り上げました

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恒例の抽選会

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「もう いくつ ねると おしょうがつ?」

2016年も最後の暦。時計の針が大晦日に向かって走ります。
街の様子もクリスマス一色ですね。
子どもにとって12月のクリスマス、そしてお正月は一年で一番空からいっぱい夢が降ってくる幸せな月なのかもしれません。

「サンタさん新幹線でくるといいな。だって、トナカイは自動車にぶつかって走れないから」
「ぼくのマンション512号室だから、おぼえておいて。サンタさんはエレベーターにのれるかな」
「サンタさんトナカイはどこにまってるの。サンタさんどこからくるの?」
「ほんとうは人間がやってるのでしょう。それでもいいの ぼくのうちにきてくれればいいの」
「ほんとは りじちょうせんせいなんでしょう」
でも、本当のこといわないで。」

2016年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。
今年の流行語大賞が「神ってる」に決定しましたね。
優勝した広島カープの鈴木選手の神がかりの活躍を、緒方監督が評価した言葉だと言われています。
野球の神様と云われた巨人軍の4番打者川上哲治選手は「打席にたった瞬時、ベース上のボールが止まって見えた時があった」と語っています。
「辰辰討襦廚聾靴靴そす垠盈を重ねた者が修得できる神がかりの技能なのでしょうね。
2016年は、大なり小なり起伏のある想定外の出来事が起きた年でした。
九州を繰り返し襲った台風や地震・火山の爆発
イギリスのEU離脱の国民投票の影響でしょうか、まさかと言われたアメリカのトランプ大統領誕生…

もういくつ寝るとお正月
お正月には、たこあげて おいばねついてあそびましょ
早く こいこい お正月

お正月はやはり華やかですね。
除夜の鐘が鳴り終わると、今までの苦労も疲れも帳消し、新しい年を新鮮な気持ちになって迎えます。
正月は肌着も衣服もこざっぱりと、身を清め家族そろって一年の計を誓い、お雑煮を食べることと思います。
お雑煮の味も、おせち料理の内容もそれぞれのご家庭でそれぞれの味が違う。
幼稚園で「ぼくのわたしのお雑煮」というテーマでお披露目会をやってみると郷土自慢のお雑煮が出そうですね。
お正月三が日は、気兼ねなくお休みを楽しめますね。
保育園も堂々と休めますし、心なしか病院の入院棟も静かです。
なんとなく日本中が全てお休みという雰囲気がとても幸せに感じますね。
逆にお正月が一番忙しいという人も当然います。
ファミリーレストランで働く人・電車やバスの運転手さん・観光地のお店で物を売ってくれる人・ゲームセンターや遊園地の人・テレビの人・年賀状を配達する人・神社やお寺の神主さんやお坊さん…
いそがしそうですが、それでも商売繁盛かな…
ニコニコと爽やかな風が吹いているような気がしませんか。
お巡りさんご苦労さまです。

なんとなく今年はいいことありそうな
元旦の朝、晴れて風なし。

貧乏のどん底だった石川啄木がお正月に読んだ句です。
正月は、世界中の人が、幸せになるといいですね。
「元旦の朝は早起きしましょう。」
「子どもを真ん中で家族で初日の出を拝みましょう」
「なぜなら元旦の朝に昇る太陽は、オレンジにぶるぶると輝いて見えるからです」
皆さんは、初詣はどこにおでかけですか。
「神社やお寺に初詣でに出かけるひともおおいですね。」
若い方が振り袖姿の同窓会気分で、おみくじを引いて一喜一憂しています。
おみくじが「凶」と出たから「大吉」が出るまでひきつける学生さん…
この日だけは理屈抜き、哲学・医学・化学専攻関係なく今年の運試しなんでしょうね。
これもお正月ならではののどかな風景ですね。
初詣でや初日の出、元旦の家族そろっての朝食…
一年の計を誓うことは、たとえ三日坊主でも大切なことです。
でも仏さまからすると、あれこれ願いごとをされると混乱してしまいそうです。
誓い事はたくさんあっても願い事は一つ程度にしませんか。
子どもにとって、正月の楽しみは「お と し 玉」です。
大人に取っては、どの程度の範囲にどの程度のお年玉をあげればよいのかよくご相談を受けます。
今はネットで調べると全国統計が出ていますのでご参照ください。
幼稚園1000円、低学年2000円、高学年3000円、中学生5000円という相場があるそうですが、子どもからの情報だとそれこそまちまちです。
「金額の問題ではなく、お賽銭と同じだよ。気持ちが伝わればいいんだ」
なるほどその通りだと思います。
正月2日、初荷ですね。
わたしは箱根駅伝でテレビにかじりつきます。半世紀前に卒業した母校愛にひたり、一年間ひたすら箱根にかけた選手を応援します。
デパートやスーパーなどの初荷の日には福袋を求めて老若男女が殺到します。
中国の観光客の暴買と同じだといわれますが、お店の方の「大判ふるい」を信用して買う「をした気分」が正月ならではの楽しみなんでしょうね。
さて2017年はニワトリさんどのような時の声を告げてくれるのでしょうか。
子どもたちにとって「ゆめのある輝かしい年にしたい」と、私どもスタッフは新年早々4月からの指導計画に取り組んでいます。
皆さんからご署名をいただいた「幼児教育の無償化の実現」も明るい見通しが期待されます。
そして「この国に生まれて世界一幸せ」と答えたオランダの子どもたちのように子どもを真ん中にした社会が実現するように、私も初詣で願をかけ初日の出にでかけ手を合わせたいと思います。
末筆になりますが、母の会の皆さんを始め各ご家庭の温かいご理解ご協力をいただき2017年を迎えることができます。
皆さんご家族そろって楽しいお正月をお迎えください。


子どもはより子どもらしく

11月に雪が降る。予期せぬ事態が発生したり、想定外の事態が現実化されたりして2016年の年も歳末を迎えました。
渡邉園長も喜寿を迎えました。昭和から平成と時の流れも一段と早くなります。行田幼稚園の40歳になります。
私事になりますが、終戦の1945年から約70年、私の辿ってきた道筋をたどってみたいと思います。おつきあいください。
77歳になって自分の人生を振り返ると、マリオの冒険のように山あり谷ありの「すごろく人生」でした。
爆撃の恐怖におびえた戦時中の体験、食べる物・着るものに事欠いた終戦直後の生活…今は懐かしい思い出です。
美空ひばりの「東京キッド」
サトウハチロウ作詞の国民歌謡「りんごの歌」
私の中学時代に流行った「お富さん」
ペギー葉山の「南国土佐を後にして」
そして、三波春夫の「東京オリンピック音頭」…
どの曲も今でも口ずさむことがあります。貧しくも心豊かな平和な時代でしたね。
力道山の空手チョップで鈴なりになった街頭テレビ、川上の赤バット、大下の青バット、そして長嶋茂雄・王貞治、フジヤマのトビウオ古橋広之進、ノーベル賞の湯川秀樹博士…昭和は可能性が保障される時代でした。
小学5年生の時、学校帰り、友だちの家にたちよって「小公子」「巌窟王」「三銃士」…むさぼるように読ませてもらっていた。
ある日、我が家の押し入れに、旧仮名遣いの徳富蘆花「思い出の記」の古本を見つけ、その主人公の生き方に憧れた。
主人公慎太郎が、母の厳しい教育を受け、早大に学び、良き妻と幸せな家族に恵まれ、新聞記者として明治の時代をたくましく生きていく姿に、自分の人生を重ねて、小学校5年生で「早大に入って新聞記者になって、可愛い奥さんを貰って、母さんを幸せにしたい」と人生設計を描きました。
「つらい時、努力すれば、良き人に出会いその人の助けで必ず報われる」
蘆花の描く「思い出の記」の「不遇時こそ努力」を信じて努力を重ねてきた。
運動に夢中だった中学時代、骨折した時も担任の合志幹夫先生(創立以来の絵画講師)から本をいたき、それが契機で白樺派の自然主義の生き方に魅せられ、武者小路実篤・志賀直哉・有島一郎・ルソー・トルストイの著書をむさぼり読みました。
その反動もあり、受験に失敗した高校大学時代、念願の大学生活もアルバイトが主力で、低迷した穴倉のような生活を過ごした。
今考えると、あの頃の穴倉生活の蓄積が社会人になってからのエネルギーになったのかもしれません。
東京オリンピック景気で脚光を浴びた中堅どころの広告代理店に勤務。
コカ・コーラJAPANに出向、ジョージ有馬についてPOPの戦略を学ぶ機会に恵まれ、スポットライトを浴びたような明るい舞台に立った。日本全体が「可能性というロマン」に輝いていた良い時代。ネオン輝く銀座・赤坂・六本木で華やかなテレビ全盛のステージ、仕事にも恵まれ直感力で世相をとらえる感性を日々、鍛えられました。
1967年、中野の芸術教育研究所の多田新作所長を訪れて幼児教育の指導を仰ぐ機会に恵まれました。
NHKの幼児番組「歌の絵本」やフジテレビのピンポンパン等の番組が茶の間で放映され幼児教育が光を浴びた。
坂本晋平・渡邉直子・手をつなごうの佐久間俊直・体操のお兄さんの輪島君・知恵の輪クラブの小鳩くるみ・およげたいやき君の子門まさととの出会いがありました。
その勢いに乗って脱サラ、昼間は幼稚園や保育所で体操や絵の講師、夜は芸術教育研究所で幼稚園の先生たちと実践保育を学ぶことになりました。
多田氏の推薦で東京都の秋川自然公園内の「子ども村」のプランに応募して、夢プランが採用され子どもサマーランド村の初代村長に就任しました。
広大な自然公園に、幼児が1日200人宿泊できる「ロッジ」は大和ハウス、ぺんてる提供の絵画村、林の中のヤマハ「音楽村」等、設計図面を片手に企業を巡り「幼児のための子ども村」建設の協力を仰ぎました。
1年半の突貫工事で完成した子ども村の開村日。浅草の80名の花川戸幼稚園の子どもたちを迎えた感動は、私の幼児教育への原風景になりました。朝の起床・日中のプール指導・山登り・就寝まで毎日異なる幼児の指導と引率で休日は皆無。ゴリラのゴング君の着ぐるみを着てキャンプファイアーの司会をすることで、24時間の子どもとの生活の日々…
そこで子どものフィーリングとコミュニケーションの「隠し味」を我が身・心に刷り込むことができた。
その日暮らしで不安定でしたが、埼玉の幼稚園で妻との出会いがあって結婚。
母と二人だった食卓が3人になり、母の晩年には「にぎやかに7人で座れて、とても幸せ」
ようやく親孝行ができました。
1971年「太陽とみどりを子どもたちへ」の幼児教育への日々の姿がマスコミで報道され、健伸幼児教育研究所を設立。
船橋の武藤初夫さんの助力があって、1973年船橋の丸山に研究所付属施設として、3学級の幼児教室を開設(園長・佐久間俊直)しました。
当時、保育経験者は柴田衣子(現・健伸園長)だけであとは全員新卒でした。
当時「3歳では遅すぎる」という幼児教育主流の背景の中で、マスコミ等の取材もあり、独自の教育が注目され過ぎたのでしょうか?
当時の渡邉船橋市長の推薦と要請もあっても翌年、学校法人健伸幼稚園へのとして認可を受けました。
今でもあの頃の卒園生から高い評価を受けています。
わたしも34歳、送迎バスに添乗、裸でサッカー水泳指導、絵を描きガリ版での園便り、お父さんと語りケンカしながら、後輩の阿久津博組と共に輝いた時代でした。
1976年、行田団地に併設する幼稚園の公募があり、学院理事の石渡秀夫さんの尽力、富士見幼稚園の松沢マサ先生の援助をいただき、怖いもの知らずの勢いで健伸行田幼稚園を開設に応募して、開園にこぎつけました。
今でこそ笑い話で語れますが、学校法人へ移行する際に多額の借金があった上に、さらに行田幼稚園の建設で借金を重ねてのスタート。しかも行田団地への入居が大幅に遅れたこともあり、私自身が銀行の担保として拘束される様な状況でした。
しかし当時は今の中国のように、所得に見合わないローンを組んでも先が保障され時代、高額な借金があっても今を頑張って生きれば大丈夫という感覚もあり、スタッフが一丸になって「ただひたすら子どもとの生活を充実していれば、幼稚園が輝く」という信念で日々の生活を楽しんで過ごしました。
幸い1974年に私立学校への国の助成金が交付される法律が議員立法で可決される幸運にも恵まれ、多くの方々の温かきサポートに支えられて転覆することなく、荒波を乗り越えてこられました。
人と人との温かきつながりの輪が支えてくださった賜と心から感謝しています。

子どもはより子どもらしく

創立当初から健伸の教育の柱は「子どもはより子どもらしく緑と水と太陽の自然の中でドロンコになってあそぶ環境のを通して子どもは育つ」という信念でした。
多くの方々の指導を仰ぎながら、健伸行田幼稚園も創立40周年を迎えることが出来ました。
新たなる発展ができるように励みます。



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