子どもはより子どもらしく

11月に雪が降る。予期せぬ事態が発生したり、想定外の事態が現実化されたりして2016年の年も歳末を迎えました。
渡邉園長も喜寿を迎えました。昭和から平成と時の流れも一段と早くなります。行田幼稚園の40歳になります。
私事になりますが、終戦の1945年から約70年、私の辿ってきた道筋をたどってみたいと思います。おつきあいください。
77歳になって自分の人生を振り返ると、マリオの冒険のように山あり谷ありの「すごろく人生」でした。
爆撃の恐怖におびえた戦時中の体験、食べる物・着るものに事欠いた終戦直後の生活…今は懐かしい思い出です。
美空ひばりの「東京キッド」
サトウハチロウ作詞の国民歌謡「りんごの歌」
私の中学時代に流行った「お富さん」
ペギー葉山の「南国土佐を後にして」
そして、三波春夫の「東京オリンピック音頭」…
どの曲も今でも口ずさむことがあります。貧しくも心豊かな平和な時代でしたね。
力道山の空手チョップで鈴なりになった街頭テレビ、川上の赤バット、大下の青バット、そして長嶋茂雄・王貞治、フジヤマのトビウオ古橋広之進、ノーベル賞の湯川秀樹博士…昭和は可能性が保障される時代でした。
小学5年生の時、学校帰り、友だちの家にたちよって「小公子」「巌窟王」「三銃士」…むさぼるように読ませてもらっていた。
ある日、我が家の押し入れに、旧仮名遣いの徳富蘆花「思い出の記」の古本を見つけ、その主人公の生き方に憧れた。
主人公慎太郎が、母の厳しい教育を受け、早大に学び、良き妻と幸せな家族に恵まれ、新聞記者として明治の時代をたくましく生きていく姿に、自分の人生を重ねて、小学校5年生で「早大に入って新聞記者になって、可愛い奥さんを貰って、母さんを幸せにしたい」と人生設計を描きました。
「つらい時、努力すれば、良き人に出会いその人の助けで必ず報われる」
蘆花の描く「思い出の記」の「不遇時こそ努力」を信じて努力を重ねてきた。
運動に夢中だった中学時代、骨折した時も担任の合志幹夫先生(創立以来の絵画講師)から本をいたき、それが契機で白樺派の自然主義の生き方に魅せられ、武者小路実篤・志賀直哉・有島一郎・ルソー・トルストイの著書をむさぼり読みました。
その反動もあり、受験に失敗した高校大学時代、念願の大学生活もアルバイトが主力で、低迷した穴倉のような生活を過ごした。
今考えると、あの頃の穴倉生活の蓄積が社会人になってからのエネルギーになったのかもしれません。
東京オリンピック景気で脚光を浴びた中堅どころの広告代理店に勤務。
コカ・コーラJAPANに出向、ジョージ有馬についてPOPの戦略を学ぶ機会に恵まれ、スポットライトを浴びたような明るい舞台に立った。日本全体が「可能性というロマン」に輝いていた良い時代。ネオン輝く銀座・赤坂・六本木で華やかなテレビ全盛のステージ、仕事にも恵まれ直感力で世相をとらえる感性を日々、鍛えられました。
1967年、中野の芸術教育研究所の多田新作所長を訪れて幼児教育の指導を仰ぐ機会に恵まれました。
NHKの幼児番組「歌の絵本」やフジテレビのピンポンパン等の番組が茶の間で放映され幼児教育が光を浴びた。
坂本晋平・渡邉直子・手をつなごうの佐久間俊直・体操のお兄さんの輪島君・知恵の輪クラブの小鳩くるみ・およげたいやき君の子門まさととの出会いがありました。
その勢いに乗って脱サラ、昼間は幼稚園や保育所で体操や絵の講師、夜は芸術教育研究所で幼稚園の先生たちと実践保育を学ぶことになりました。
多田氏の推薦で東京都の秋川自然公園内の「子ども村」のプランに応募して、夢プランが採用され子どもサマーランド村の初代村長に就任しました。
広大な自然公園に、幼児が1日200人宿泊できる「ロッジ」は大和ハウス、ぺんてる提供の絵画村、林の中のヤマハ「音楽村」等、設計図面を片手に企業を巡り「幼児のための子ども村」建設の協力を仰ぎました。
1年半の突貫工事で完成した子ども村の開村日。浅草の80名の花川戸幼稚園の子どもたちを迎えた感動は、私の幼児教育への原風景になりました。朝の起床・日中のプール指導・山登り・就寝まで毎日異なる幼児の指導と引率で休日は皆無。ゴリラのゴング君の着ぐるみを着てキャンプファイアーの司会をすることで、24時間の子どもとの生活の日々…
そこで子どものフィーリングとコミュニケーションの「隠し味」を我が身・心に刷り込むことができた。
その日暮らしで不安定でしたが、埼玉の幼稚園で妻との出会いがあって結婚。
母と二人だった食卓が3人になり、母の晩年には「にぎやかに7人で座れて、とても幸せ」
ようやく親孝行ができました。
1971年「太陽とみどりを子どもたちへ」の幼児教育への日々の姿がマスコミで報道され、健伸幼児教育研究所を設立。
船橋の武藤初夫さんの助力があって、1973年船橋の丸山に研究所付属施設として、3学級の幼児教室を開設(園長・佐久間俊直)しました。
当時、保育経験者は柴田衣子(現・健伸園長)だけであとは全員新卒でした。
当時「3歳では遅すぎる」という幼児教育主流の背景の中で、マスコミ等の取材もあり、独自の教育が注目され過ぎたのでしょうか?
当時の渡邉船橋市長の推薦と要請もあっても翌年、学校法人健伸幼稚園へのとして認可を受けました。
今でもあの頃の卒園生から高い評価を受けています。
わたしも34歳、送迎バスに添乗、裸でサッカー水泳指導、絵を描きガリ版での園便り、お父さんと語りケンカしながら、後輩の阿久津博組と共に輝いた時代でした。
1976年、行田団地に併設する幼稚園の公募があり、学院理事の石渡秀夫さんの尽力、富士見幼稚園の松沢マサ先生の援助をいただき、怖いもの知らずの勢いで健伸行田幼稚園を開設に応募して、開園にこぎつけました。
今でこそ笑い話で語れますが、学校法人へ移行する際に多額の借金があった上に、さらに行田幼稚園の建設で借金を重ねてのスタート。しかも行田団地への入居が大幅に遅れたこともあり、私自身が銀行の担保として拘束される様な状況でした。
しかし当時は今の中国のように、所得に見合わないローンを組んでも先が保障され時代、高額な借金があっても今を頑張って生きれば大丈夫という感覚もあり、スタッフが一丸になって「ただひたすら子どもとの生活を充実していれば、幼稚園が輝く」という信念で日々の生活を楽しんで過ごしました。
幸い1974年に私立学校への国の助成金が交付される法律が議員立法で可決される幸運にも恵まれ、多くの方々の温かきサポートに支えられて転覆することなく、荒波を乗り越えてこられました。
人と人との温かきつながりの輪が支えてくださった賜と心から感謝しています。

子どもはより子どもらしく

創立当初から健伸の教育の柱は「子どもはより子どもらしく緑と水と太陽の自然の中でドロンコになってあそぶ環境のを通して子どもは育つ」という信念でした。
多くの方々の指導を仰ぎながら、健伸行田幼稚園も創立40周年を迎えることが出来ました。
新たなる発展ができるように励みます。


子ども輝け まどみちお の世界 〜幸せを分かち合う心の芽生え〜

「ぞうさん」
ぞうさん ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ かあさんもながいのよ

ぞうさん ぞうさん
だあれが すきなの
あのね かあさんが すきなのよ
(まど みちお)

「おはなが 長いのね」と悪口を言われたときに、しょげたり腹を立てたりする代わりに「かあさんも長いのよ」と誇りをもって子どもの象は答える。
まどさんの研究者である坂田寛夫さんは「子どもの象は、象として生かされていることがすばらしいと思っているから、悪口を言われても平気です」「まどさんは、象に生まれてうれしい象の歌、と思われたがっている」と述べていることを授業で学生に伝えたことがあります。
「へぇ 象をいじめた歌なんですか」
学生は「そんな深い意味があるとは考えていなかった」と驚きます。
阪田さんは「目の色が違っても髪の色が違っても仲良くしよう」から「目の色がちがうから、肌の色がちがうから、それぞれがすばらしいと、まどさんは思われたいのではないか」と紹介しています。

「くまさん」
はるがきて めがさめて
くまさん ぼんやりかんがえた。
さいているのは たんぽぽだが ええっと 
ぼくは だれだっけ だれだっけ

はるがきて めがさめて 
くまさん ぼんやり かわにきた
みずにうつった いいかおみて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな
(まど みちお)

満5歳から7歳の時期に、自分という存在を考えるようになります。
そして、なりたい自分像をイメージしていくようになります。
身近な私たち大人の生き方が、子どもの心に影響を与えます。
私は小学校の頃、金持ちの家の子に生まれた夢をみて、目が覚めてがっかりしたり、ほっとしたりした経験があります。
ですから、この「そうだ ぼくは くまだった よかったな」の気持ちが良くわかります。
それぞれの子どもが、自分に誇りを持って生きていけること、
もって生まれてきた子どもの特性を大切に育てていけること、
が大切ですね。
年長さんは卒園まであと数ヶ月です。
友だちとの関わりを通して、具体的に自信と誇りを身につけてたくましく生活する力が身につく大切な時期ですね。
なにごとも「子どもらしくチャレンジして」空に向かって叫ぶ。

ぼく せかいのヘソだよう
せかいは きょうも
いい おてんきだよう
(まど みちお)

満2歳から3歳の子どもは、この「ぼくは世界のへそだよう」と、自分中心に生活できるねんれいです。
小さな山・トンネル・砂場のお団子・ダンゴムシ…
年少さんは、丸いモノが大好きです。

ぼくが ここにいるとき
ほかの どんなものも
ぼくにかさなって
ここにいることは できない
(まど みちお)

向かい合ってお団子を作っている時でも、仲良くお話をしている時でも、年少さんは自分だけの自分中心の世界なのです。
この「自我の芽」が、やがて「生きる力の軸」となって支えてくれる力になるのです。
4歳のお誕生を迎える頃には「自我の芽」は触手を伸ばし四方八方に広がります。
友だちの心に自分を映せるようになると、分かち合う思いやりの心を学習していきます。
この時期の友だちと関わる遊びの経験が「幸運をつかむ力」となります。

「さかな」
さかなやさんが さかなを うっているのを
さかなは しらない
にんげんが みんな さかなを たべているのを
さかなは しらない
うみの さかなも かわの さかなも
みんな しらない
(まど みちお)

まどさんは魚が好物。
毎日食卓に出る焼き魚や煮魚と向き合っているうちに魚の目が気になり、魚がいとおしくなっていきます。
魚にも人間と同じような心があるように感じて、形ある魚よりも「かまぼこ」を食するようになったそうです。
満5歳のお誕生日を迎える頃から、子どもは、周辺の物や人を距離を置いて見られる心が育っていきます。

にじ にじ にじ
ママ あの ちょうど したにすわって 
あかちゃんに
おっぱい あげて
(まど みちお)

大好きなママのおっぱい、お姉ちゃんになったわたしは、目に見えないバスの窓越しに運転手や乗客も想像して描けるようにもなります。
自分の心が充足すると人に分かち合える気持ちが育ってきます。
まどさんの世界はいつも純粋で、透き通っています。
空気も透き通る秋。
みんな幸せを胸深く吸い込みましょう。
幸せをたっぷり味わった子は、その幸せを共有してわけてあげることができる気持ちが芽生えます。


爽やかな風を切って走る

リオのオリンピックは酷暑の中、さわやかな応援ができました。
地球の真裏からのライブでのテレビ観戦。
時間帯も早朝だけに、テレビの情報がリアルに感じてメダルラッシュに酔いました。
「始め良ければ終りよし」
体操団体・水泳・柔道・卓球・バトミントン・レスリング…
お家芸ともいえる競技がベルトコンベアに乗せられたように連日メダルをゲットしてくれた感がありましたね。
陸上の花形4×100mリレーでの銀メダルゲットは圧巻でした。
10秒切れない4人が37秒台でリレー、頭脳と技と練習とチームワークの和の成果でしたね。
開会式はロンドン大会に比べて緊縮した予算にもかかわらず、テーマーが明確で工夫され華やかな式典でした。
閉会式も次期開催国・東京にドラえもんとマリオが登場。
瞬間、リオの競技場に安倍総理扮するスーパーマリオが登場する。
4年後の祭典はアニメで構成?
いまからその演出が楽しみですね。

 

「秋の運動会は豊作祭り」

 

爽やかな風が吹く季節になりました。
朝のウォーキングも胸を張って颯爽と風を切って歩きたいのですが…年々、身体が伴わず歩調が重く感じます。
駅のベンチで公園で、スマホをしている青年にこの風を切って走る「爽やかさ」は若者の特権。
「今でしょう!」と声をかけたい衝動にかられるのも秋。
日本には四季があり、秋には色がある。
幼い頃の思い出の色はセピア色、鎮守の森の祭りには臭いがある。
臭いといえば練習を終えて学校から帰路、狭い生垣の路地から七輪で焼くさんまの臭い…
ひばり組のお泊り会、キャンプファイアーの灯を囲んで歌う私の恒例の山賊の歌
「春になれば、恋が芽生え…秋にな〜ると恋も終わる」
秋になると恋もおわる。
「この気持ちわかるかな」と、かなり難題の問いかけに「ラブラブじゃなくなっちゃんでしょう」
なにやら暮れなずむほろ苦さも…いろいろ思い出す秋。
秋は運動会です。
私は運動会は絶対に秋でなければと思っています。
しかもさわやかな風が吹き、飛行機雲のデッサンが消えていく、店頭に甘酸っぱいミカンがならび運動会のお弁当に添えられる。
幼い頃の秋の風景は、運動会に集約されます。
だから小学校の運動会は、秋でなくてはならないのです。
運動会の起源は、豊作を感謝する鎮守の森のお祭りだったそうです。
豊作祭りでの相撲、俵かつぎ、力自慢の祭りが村の運動会につながり、学校行事の運動会として継承されてきたと言われます。
最近は、学校の運動会も春に移行して小運動会になりました。
この間まで、会社や町内会の運動会も秋のメイン行事で盛会だったんですが…
あの当時、早朝の秋空に打ち上げ花火の音が響く。
家族総出で運動会。
前日からの煮しめや玉子焼きを重箱に積み、校庭にゴザを敷き、昼休みはおむすびやいなりずしを楽しんだものです。
私のような母子家庭でもこの日は親戚が集まり、隣近所と合流して食事の輪を広げた記憶があります。
近頃は校庭にシートを敷いて食事をするあの団欒風景は消えていきます。
親が来られない家庭もあり、平等性に欠けるという理由で、子どもたちは教室で給食。
家族は一時帰宅という学校も多くなりました。
「運動会は同じ速さの子を並べて、手をつないでゴール」
「そんなの平等じゃないよ。」
世代が異なれば、考え方も変わっていくのでしょうか。
でも勝ち負けは現実。
しかし「勝った、負けた」だけが人生ではない。
リレーに選ばれた子にもプレッシャーという悩みもある。
スーパーマリオのように谷底におちても努力すれば浮かび上がるチャンスがある。
子どもたちが走る走路の応援、目の前を走るお子さん一人一人に両手のメガホンで声をかけてください。
3歳児カナリヤ組さんは、森へ出掛けてトムおじさん「ハァイホー」の曲で楽しくあそびます。
かっけこはまっすぐ走れますかね?
おばあちゃんを見つけて、立ち止まって手を振って走るかもしれませんね。
なにおしても抱きしめたくなる可愛さがあります。
生まれ月の順番で走ります。
友だちと手をつないで登場するだけで、わくわくしますね。
4歳児つばめ組さんはスキップするように、縦と横・前と後、手と足の協応が身についていく年齢です。
「輪になって踊ろう」の曲で手をつないだ三つの輪が移動しながら、外向きに並んでいく。
難しい課題へのチャレンジです。
カナリヤさんの頃の仲良しあそびが花と咲きますか楽しみですね。
来年演じる「よっちょれ」へのステップ段階としてご覧いただけたらと思います。
5歳児ひばり組さん。
おまちどうさま、今年も恒例の「よっちょれ」です。
カナリヤ組の頃からの憧れのステージですね。
イメージができているので、一通り説明をするだけで子どもたちは反応し、動作も身につけていけます。
練習の時の集中力は抜群。
憧れへのチャレンジってすごいですね。
子どもたちにとって「よっちょれ」の本番は、120%の力を出して初めて実感できる達成感です。
今年もひばりさん組と一緒に、話し合いの場と仕上げの段階に今年も参加させてもらいます。
あの広い小学校の校庭に響く元気なひばりの掛け声が楽しみですね。
秋のさわやかの風をきって走る子どもたちをご家族で応援してください。 



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