子どもと生活する幸せ

一斉に園庭の木々がくるくると渦巻くようにみどりの芽を吹き出しました。
日曜日、古寺の境内を散策する機会がありました。
ふじ、シャクヤク、山吹、ツツジが色とりどりに咲き、蝶や蜂が幸せそうに花に群れていました。
境内に一角に「草花、虫が幸せになる幸せの七施」と書かれたプレートが目につきました。
子育ての教えににも通じるので紹介します。

眼施(げんせ) 常に優しいまなざしで接しましょう。
和顔施(わげんせ) にこにこと包みゆるす心で接しましょう
言辞施(げんじせ) やさしい温かい言葉がけをしましょう。
心施(しんせ) 温かな心で接すると花どうしが育ちあいます。
身施(しんせ) 骨身を惜しまず世話をしましょう。
状座施(じょうざせ) 弱い草花虫に席を譲り優先しましょう。
房舎施(ぼうじゃせ) 虫さんどうぞ、わが庭でおくつろぎください。

幼稚園も可愛い年少組さんを迎えて花盛りです。
朝、門をくぐるなり砂場に走り出す。
駆けつけた年長さんが「おへやでバックをおろしてからあそぼうね」と手を引いて誘導してくれます。
年少組さんにとっては、すべてが物珍しい世界、泣きながら周りを観察しているのでしょうね。
それぞれが自分の居場所を見つけるまで珍しさと戸惑いの毎日ですが、それもしばらくの我慢です。
年中組さんは新しい環境にも慣れて、保育室での自分の居場所が見えてきます。
年少組さんが泣いたりしている姿を横目にしながら昨年の自分をトレスしながら、自分の成長ぶりを確認しているのでしょうね。
年少から年中へ成長する過程は、その発達・成長の過程が形では見えにくい時期です。
しかし、心の育ちは大きく豊に成長する時期です。
心にイメージする世界が豊になればなるほど、言葉や身体で表現する力が充分に伴わないために、ひっかいたり噛みついたりする時期です。
言葉が乱暴になったり落ち着かない所作も目立ってきますが、これも成長です。
言葉の獲得が増え、様々な経験を積み、身体機能が成長にするに伴い、周りを見る目・視野がずーっと広がって落ち着いてきます。
5歳のお誕生を迎える頃から「相手の心の中に映る自分」を見る目が育っていきます。
前後・左右・上下・空間や数量の感覚も育って「経験」という栄養素を蓄積して「生きる力」人生のアンテナとなる「自分軸」(アイデンティー・特質・個性)を育てていくカリキュラムが用意されるのもこの時期です。

年長組さん、進級式はどうでしたか?
年長になると自分で判断して行動しなければならないことがたくさん出てきます。

 

1.何ができるか 
2.何をしたいか
3.そのためには何をしなければならないのか。

 

先生やおうちの人にたよるだけでなく「あとでやる」という返事では無くできることから、自分のことは自分ですぐやる習慣をつけましょう。
新しい幼稚園の教育要領の「柱」は「学ぶ力」です。
友だちを意識し、仲間から学び、仲間と関わることで学ぶ、喜びと悩みを体験することが大切です。
国会でも取り上げられたヘッグマン教授は「幼児期における質の高い教育の重要性」を次のように述べています。

就学前に質の高い専門的な教育刺激をうけておかないと、その時期でしか発達しない能力は発達しない。
就学前における能力の発達があれば、就学後における教育の効果は大きくなる。しかし、それが無ければ就学後の教育効果は小さくなってしまう。
3歳から6歳の幼児期に、専門家が編成した「質の高い教育カリキュラム」提供されることで、幼児はこれからの人生をたくましく自信を持って生きていくための「羅針盤」を錬磨していく。

「IT社会」だからこそ、それぞれの子どもが自分の特性を活かして生きていくための人間本能のアンテナが必要です。
そのアンテナを育てるのが、素朴な人間的な「幼児期のあそびの経験を保障する環境」なのです。
6歳までの学習は「まねび」です。
子どもの成長は周囲から優れた情報を集め、模倣する「学び」(learning)が大切です。
教え育てるよりも、自分で学んで自分を育てる方法を気づかせてあげるほうが力となるはずです。
子どもは成功と失敗を繰り返して成長していきます。
子どもの意見や質問に、私たちは耳を傾け、適切な助言を与えられるように努めたいですね。
押し付けて教えると「どうするの?」「これしていいですか?」等の指示待ちが多くなります。
また、この幼児期に友だちとじゃれあって学びあう経験が少ないと、応用力・創造性が問われる4年生の頃から中学生の時期に環境へ適応できず、反発して、閉じこもったりする心配もでてきます。

こんな子どもを育てたい

子どもたちが小学4年生になって「幼稚園で学んだことが、役にたったなぁ」と実感できる幼児教育を目指しています。
幼児期は空想したり、工夫したり、それぞれのイメージをふくらませて夢中になってあそぶ年齢です。
さらに大切なことは、他人の心に自分を投影して、友だちの心に自分がどのように映っているかを考える。
自分は何をすれば良いかを考える心が育つ年齢です。
4歳になると雨の色・風の音・空気のニオイを感じたままを表現する心が育ちます。
3歳の頃からの自分の手でさわってみる・嗅いでみる・動かしてみる等のあそびの体験を重ねることで、感性と表現力が育っていくのですね。
4歳は「やりたいこと、思っていることをしっかり言いなさい。先生が上手にうけとめてあげるよ。」
5歳になったら「自分でできることは、自分で考え自分の意思で行動しなさい。先生もしっかり見てるから。」

年長組に進級したら「やりたいこと、自分でできること、そしてやらなくてはいけないことをしっかり考えて、友だちとあそぼう。」と伝えます。
子どもと共にある幸せを大切にしたいですね。


子どもと共にある幸せ

花冷えで桜の開花が心配されていました。
始業式・入園式、園庭の桜が花びらをいっぱい広げてお祝いしてくれています。

桜が花がさいている。
どんなに 花自らが嬉しいであろう。
花が満開している。
どんなに 花自らたのしいであろう。
その、花自らの喜びを喜び、喜びとし、その幸福を祝う心、それが4月の真心である。
ただ、こっちの興味で、美しと眺め、美しと賞するのみではない。
見よ、子どもらの生活が咲いている。
満開している。
かれら自らに、どんなに 快いことであろう。
どんなに 喜ばしいことであろう。
その、子どもらの幸福を
子ども自らの心に和して祝う心。
それが われらのまごころである。
倉橋惣三(4月)

日本の幼児教育の父として慕われる倉橋さんの子どもへの真の心を歌った詩です。
満開に咲いた桜を見ていると、サクラの一輪一輪が「見てみて」とささやきながら、自らが自分の力で蕾を開いて、満足して咲き誇っているような気がします。
咲き誇るその様は、七五三のお祝いの着物姿を誇らしげに見せてくれる子どもの姿に似て、美しい。
時代が変わっても社会通念が変わっても、花びらが風に舞う桜並木を桜の喜びに和して観賞するのが真の花見心として変わらぬ日本の文化は変わらない。
園庭の木々も、芝生も土も園舎も鶏小屋も・・・みんなピカピカになって、子どもたちの進級・入学を迎える準備が整いました。
4月はドキドキ心をはずませて一人ひとりの子どもを迎えるフレッシュな気分に包まれる月です。
園内研修を始めそれぞれのテーマーでの研修の成果も問われるのも4月。
私たちは自ら蕾を開き美しく咲いた喜びを誇らしげに伝える桜と同じように、子どもの心に沿って、子どもを見守り育てたいと願っています。

4月の幼稚園は、柔らかな日差しを浴びて、子どもたちは、真綿のような花を咲かせます。
社会全体がうっとうしい厚い雲に閉ざされ先行く途が見通せないように感じる今の時代ですが、色とりどりの真新しい帽子をかぶった子どもたちが、桜のように舞う幼稚園は、子どもの躍動する姿が桜のように満開で温かです。
あらためて、子どもと共にある生活に感謝し、子どもと共にある生活を楽しんでいます。
以前にも紹介しましたが、毎日新聞の「みんなの広場」に掲載された69歳の男性から心温まる文章を再度ご紹介します。

34歳になる私の娘は、現在、幼稚園の教諭で勤続10年を超えた。
職場は、毎日が楽しくて大満足だという。
幼児は、日本の未来を担う大切な宝物だ。
決して怒らずに、その宝物の子を育てるのが娘のモットーだという。
優しく指導していると、日々成長していく子どもの姿に驚くほどの感動を覚えるという。
このように毎日職場で楽しく働いているのは、まさに天職ではなかろうか。
未来の宝を育てながら、楽しく働けるとは、何ともうらやましい職場だろう。
幼い子どもたちが成長し、どんなすてきな大人になるのか、今から楽しみだと娘が言う。
おもしろいことに、六十路を歩く私の妻も未だに現場で、幼稚園教諭として第一線で働いている。
さらに妻と娘は同じ幼稚園だ。
親子で未来の宝を育成している。
なんとも幸せで信じがたい。

「保育園入れない。日本 死ね。」の怒りのメッセージが社会問題になりましたね。
そうした世相の中でこの文章に接して、子育てにおけるともすると忘れがちな「大切な何か」を感じさせられました。
幼い子どもは、未来の星です。
未来を支えてくれる「子どもがいるから」私たちは橋を造り、街を造るのです。
子どもへの「育ての心」が忘れられると、それこそ日本の未来が死んでしまうのではないかと心配しています。
桜満開の園庭での新学期のスタートです。
教職員一同、子どもを真ん中に子どもが輝く教育環境作りを目指してがんばります。
本年もよろしくお願いします。


子どもの質問に答える

子どもの頭の中は何もかも不思議な世界で、疑問でいっぱいでしょうね。
長い間生きている大人にとってあたりまえに思えていることでも、子どもにとっては「なぜ、そうなるんだろう」と疑問に思えることがあるはずです。
「どうして、ねなければいけないの?」と、子どもに質問されて「そんなのあたりまえよ」と答えると「どうして当たり前なの?」「だから、あたりまえはあたりまえなの」と答えたりしませんか。
「いきものは寝ないと生きていけないのよ」と答えておけばよかった。
でも子どもはまた質問するでしょうね。
「お花は?お魚は?ねるのかな?」
「ね る のよね?」
「でも、金魚は目を開けているよ。どうして?」と質問はどんどん広がります。
旅先での散歩、砂浜ですれ違った人に「こんにちは、良い天気ですね。」とあいさつを交わします。
「お父さん、あの人しっている人?」
「知らない人だよ」
「へぇ 知らない人なのに なぜ『こんにちは』ってごあいさつするの?」
「それは、挨拶すると気持ちがいいんだよ」
「そうか。それではなぜお家の近くでは挨拶しないの。」
「それはたくさんいるから大変なんだよ。」
「そうだよね『こんにちは こんにちは』って言ってたらたいへんだもんね」
「それに人がいないところで知らない人に会う時、緊張するじゃない。相手の人も同じ気持じゃないかなぁ。」
「だから『こんにちは』っていうんだ」「そうだね。わかった」と子どもが答えた瞬間、脳の偏桃体がぶるぶると反応して脳にインプットされるのでしょうね。

ところで、この挨拶をするという行為は人間が生きていくための大切なシグナルでもあり、周辺を照らす電灯でもあります。
夜道ですれ違う時「私は無害です。あなたは、どんな人ですか?」というシグナルを夜道で発し、笑顔で「こんばんは」と声かけしたりします。
何と答えたらいいのかわからない場合もありますね。
あまりいろいろ教え過ぎると、子どもが心を閉じてしまう場合もありますよね。
教えることは大切ですが、あまり詰め込みすぎると教えられたことは脳にインプットされずにその場限りで忘れてしまうことが多いようです。
それだけに、子どもがわからないことを追いかけ、その結果自分の力で解決していくことは脳にインプットされていきます。
健伸では3歳の頃から自分で考え、判断できるような環境の中で、子どもの力で判断し行動する途へ導けるようにしています。
特に年長になると子どもの質問に対して「先生はこうした場合にはこのように考えて、このようにします。でも君はどうしたらよいか、自分で考えてごらんなさい」という方法で子どもの学ぶ力を育てています。
そうした自己解決力の環境で幼児期を過ごすと、小学校の高学年になる頃に「自分のことは自分で考え決断し、行動する」途が広がります。
あれこれ考える方法を身に着けると、それを繰り返していくうちに、あっと驚くような考えや発想が導き出されたりします。
良き発想は頭を絞りだすように訓練した人が身に着ける技なのです。
発想が豊かな人に対して「あなたは、どうして、そんな考えが浮かぶの?」と、質問する人がいます。
そういう人に対しては「あなたが幸せで恵まれていて、何でもやってくれる親切な人にめぐまれたからです」
「発想の豊かな人は、ハングリーでいつでも悶えている環境に育っているのでしょう。」と答えています。

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「今年の作品展いかがでしたか?」「年少さんの絵が上手でした。」
「年中さんは大きな画用紙に伸び伸びと描いて、一年間でこんなに成長してビックリでした」
「年長組は色が明るく、動物や子どもの姿がたくさん登場して、子どもの描線に子どもらしさを感じとても感動しました」という養成校の先生のご指摘をいただき、とても嬉しく感じました。
この時期の子どもたちは技法と型を教えると、素早く反応して上手な絵を描きます。
ただし世阿弥が指摘するように「この時期の教え込まれた姿は、真の姿ではない」
この世阿弥の言葉は幼児期の習い事をするうえで気を付けなくてはならない大切なことです。
大人の手が入ると、立派にできても身につかず、いつの日か元に戻ってしまったりします。
子どもの発達の要件として、昆虫の脱皮と同じように子どもは、次のステップのためにもがき悶えると良いですね。
子どもの描画の特性は、身体をひねる様子を表現するために、手前の手を大きく濃い色で描き、右手を小さく薄い色で描いたり、針金細工のようにひねりねじり色を変えて描いていることです。
子どもがこの過程を経験して、小学校の絵の時間で遠近法、混色・デッサンの基本を学んだ時、子どもは次のステップを踏み新しい発想を学習していくのでしょうね。
算数の問題とは異なり、人生の途は答えが必ずしも一つではなく多様です。
美しさも素晴らしさもものごとの途は多様です。
答えは一つとはかぎりません。
人生は考え抜くことで開かれます。
私は77歳になって歩く力も物覚えも聞く力もコマを回す技能も衰えを感じたりします。
視力も衰えて文字が読みずらくなりました。
幸い、幼児教育の途に携われたおかげで、若い時に回り道をして鍛えた感性と直観力が、子どもの世界との関りで役に立つことが多くあります。
大人の世界で見えないことが子どもの世界で見えたり通じることがあります。
幼児は説明書を読まなくても見よう見まねでパソコンやスマートフォーンタブレットを操作したりします。
日常の生活ではスマフォに依存して生きている今の若者よりも、直観力では勝っているかもしれませんね。
幼児の学習力はとても過大です。
子どもは目で見た色・形・量感・耳で聞いた音・お話・風景・喜び悲しみ・寂しさ・恐ろしさを脳の奥に感覚として認知できています。

幼児期だからこそ、大人の相似形のような育ちをさせるべきではない。
幼児期はもっともっとドキドキワクワクするような夢の世界で育てたい。
その夢世界の不思議な体験が子どもの感覚の中にしみこんでロマンになる。
そのロマンが生きるための「キラキラ星」となる。

「さぁ年長さん いよいよ巣立つ日が近づきました。残り少ない健伸での日々を楽しんでください」



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