オリンピックの感動「達成感を共有する」

平昌冬期オリンピックが華やかに幕を閉じました。
日本の若手の選手たちの活躍もあって、時間的にも時差がなく楽しく観戦できました。
それぞれの競技種目が、短時間でスピードを競う競技が多かっただけに、その迫力に選手と一体になってわくわく感を味わうことが出来ました。
銅メダルに輝いた北海道の北見市で育成された無名に近いカーリングの選手たちが、銅メダルを獲得しました。
その素朴な笑顔と「そだねー」と交わされるチームワークが、世界的に評価されました。
明日からは地方都市の職場でいつものように笑顔で仕事をするのでしょうね。
日韓の外交関係の歪みが心配される中で、小平選手と韓国選手のライバル同士のリング上での友情がほほえましく報道されました。
開会式・閉会式も演出的にも内容的にも立派で感動的でした。
次回はパンダの国、中国での開催です。
そして東京オリンピックも2年後に迫りました。
躍進する東洋の力を世界にアッピール出来る絶好の機会ですね。
それにしても、期待以上に日本の選手は活躍しました。
羽生選手やスキーの渡部選手のように怪我を抱えながらがんばった姿に心を揺すぶられましたね。
そして、若い世代の活躍に明日への羽ばたきを感じました。
閉会式の当日、東京マラソン。
華やかな舞台で日本新記録に輝いたホンダ所属の設楽悠太選手に陸上競技連盟から1億円の報酬が贈呈されました。
マラソンは日本期待の競技だけに、その期待を込めての報償でしょうが、銅メダルに輝いた北見市のカーリングチームには全農協からお米百俵が送られるそうです。
このギャップに微笑ましくも、考えさせられる課題でもあります。
雪と氷の環境が必要な冬期オリンピック競技は、無いきわめて地味なスポーツです。
メダルに輝いた選手たちも、野球やサッカーのプロ選手のような報酬制度は無く、小平選手のように地方の病院勤務というような状況の中で、練習に励んでいるようですね。
日本オリンピック委員会より、リオ大会から報償額を増額された金メダル500万・銀メダル200万・銅メダル100万を送られるそうです。
スポーツと報奨金、そして薬と国益…考えさせられる課題はありますね。
この冬期オリンピックで観戦した各競技はどれも面白かったですね。
日本選手の活躍、若者と女性の活躍が目立ちました。
オリンピックで魅惑された子どもたちが、きっと興味を持ったことでしょう。
しかし、残念なことに雪が降り氷が張る地方のスポーツだけに、都会の子どもたちがふれあえる本格的な施設が不足します。
北陸地方を麻痺させたあのドカ雪をどうにか出来ませんかね。
今回のオリンピック、様々な話題が生まれましたね。
3人が一体となって競うスケートの団体追い抜き競技を制覇した日本チームの心技一体の技のチームワーク、そして高木姉妹の活躍。
スキーとスノボを制覇したレデッカの偉業。
怪我や障害を克服して連覇した羽生選手の完璧な演技…
競技種目も多彩で様々な工夫があり、若い無名の選手の台頭が見られました。
スマホ片手に背を丸めて街ゆく姿に、仕方が無く日々を過ごす若者をイメージさせられます。
「そのうちどうにかなるだろうという」世相の中で、このオリンピックが契機で果敢にチャレンジする若者が出てくると良いですね。
オリンピックをテレビで観戦した幼稚園の子どもたちはどのように感じたのでしょうか。
アイスホッケーやカーリングゲームがはやるかもしれません。
「立て、走れ、健伸の子よ!」世界へ、宇宙に向けて羽ばたく子どもたち。
仕方がないと諦めないで勇気を奮い起こし、失敗してもくじけず継続することで、メダルを獲得した「達成感を味わう喜び」を学んでくれると良いですね。
そんな思いを込めて今月も、私の愛読する齋藤隆介の「半日村」のお話をお届けします。

半日村(要約)

「その村は、えらくさむい村なんだ。うしろに、たかい 山があるからさ」
「朝、お日様が東から出たって、山がたかくて、かおをだせないんだ」
この半日村に一平という少年が住んでいました。
あるばん、一平のとうちゃんとかあちゃんが
「あぁあぁ…あの山さえなかったらのう」
「だめさ、山は山さ、うごかせやしねぇ。わるい村に生まれたとおもって、あきらめるよりしかたがねぇさ」
青白い顔して嘆いているのを聞いた一平は、翌朝一人で袋をかついで山に登り、てっぺんの土をほって袋につめて、ひたひたと冷たい風が吹く湖に土をうめ、また山に登り土を運ぶ毎日でした。
「うん おらはあの山を湖にうめてちまおうとおもってるんだ」
一平の黙々と働く姿は、子どもたちの心を動かし、嘲笑していた大人たちも「モッコは、このように担ぐんだ」と助言し道具を貸してくれました。
ひまをみては、大人たちも手伝うようになります。
作業が進むにつれて村中の人たちが参加し、山が半分になると喜びと活気が出て、村中の人の心がひとつになり作業が進みます。
一平が大人になったある朝、鶏の泣き声ともに朝日がパッと村一面を照らした。
湖を埋めた田の稲は輝き、鳥は歌い花が咲き、半日村は豊かな「一日村」になった。
村の人たちは、朝日に向かって万歳万歳と喜びました。

齋藤隆介の「半日村」は、テンポの速い世の中で私たちが忘れかけているたくさんのことを示唆してくれます。
生活の全てを「AI」に依存する社会。
行動しなくてもコンピューターが処理してくれる社会。
もしかしたら汗水流さずとも手も足を動かさなくても「あの山がなければしあわせになれるのになぁ」とつぶやけばコンピューターが作動して、山は瞬くうちに削られ湖は埋め立てられ田畑となり、半日村は豊かな町に生まれ変わる時代も間近いかもしれませんね。
でも、それで良いのでしょうか?
そんな便利すぎる社会が実現しても、幸せになれるのでしょうか?
心が満たされるのでしょうか?
「そのうちどうにかなるさ」とコンピューターに全てを依存して、傍観して生きていては人間として決して幸せにはなれないでしょうね。
「一平の心」を支えたのは強い意欲と実践力だったのでしょう。
汗水流す体験を重ねることで「達成感」を味わうことってとても大切ですね。
冬期オリンピックから多くのことを学びましたね。
年長さん、残り少ない幼稚園での生活、いっぱいいっぱい楽しんで下さい。


目に見えないものを心で感じる

先日の会合後、ホテルのロビーで卒園生のお父さんと話す機会があった。
小学校4年生になった男の子がクラブサッカーで活躍する一方、受験を目指して塾に通い、友人とのコミュニケーションに悩むわが子とある程度の距離を置きながら見守る父親の話を聴くことが出来ました。
「母親はそうした息子に自然体で、幼稚園の頃のように激励したり、相談に乗ったりしている」
「父親である私は蚊帳の外で無口。子育てについては目に見えない部分についても不器用なんですかね」
「結婚当時から清潔好きの妻が、ドロンコになって遊ぶ幼稚園に真綿にくるんで育てている長男を積極的に入園させることにも戸惑いを感じた」
「その時もそれまでしても…と思ったが妻と息子に任せた」
「素足になる経験がなかったわが子が、幼稚園のドロンコ広場で腹ばいになって遊んでいる笑顔の写真を見ても、当時の私は戸惑った」
「良い運をつかむ子を育てる」「子どもはより子どもらしく」「考える子を育てる」「ドロンコになって遊ぶ」という幼稚園の教えを、今でも妻は自筆で描いて子ども部屋に飾っている。
最近になって長男が4歳の時に幼稚園で、銀砂をまぶして10日もかけて固めたドロ団子を入れた箱を見つけた。
このドロ団子の経験は「きっとこれからの彼の生きている力の真珠になると信じて見守っている」というお父さんの言葉を嬉しくうけとめました。
「幼児期に泥んこになって、頭と体と心が生き生きと輝いて遊んだ子どもは、9歳の頃にぶつかる高いハードルをクリアーできる」

内田伸子お茶の水女子大教授

あらためて幼児期のあそびの大切さと乳幼児期における母親の役割について考えてみたいと思います。
「人間の赤ちゃんは、お母さんの胎内で脳が著しく大きく成長しすぎて産道を通れない。そのため1年ほど未熟で生まれる」とポルトマンが指摘するように、他のほ乳類は産後すぐ自分の足で立つが、人間は立つのに一年、言葉を発するのに一年以上もかかる。
これでは自分で身を守り、自分で食事や排便が出来ない。
従って人間は、母親の保護期間が3年。
最近では男の子は母子分離は結婚後まで続くと言われます。
母親が絶対で、献身的イクメン父親でも子どもにとっては、母親が絶対の守護神である。
こんな事例があります。
3歳児の絵、題名は家族。
画用紙に左から右へ大きな○から小さな○が描かれている。
4つ並んだ中央の二つの大きな○が、ぼくとママ。
右端がおねえちゃんの○。
そして右隅に小さく描かれた小さい○は?
「めがね。パパだよ」
男の子は母親が絶対、母親も手に砂糖をまぶしてさするように育てる。
女の子は母親は手塩にかけて育てる。
従って女の子は母親のライバルになり相談相手になり強く頼もしく育つ。
「泣いた赤鬼」の浜田廣介は「強くやさしい男の子。やさしく強い女の子」と書き留めたが、やさしくやさしく育てられた最近の男の子に不安を感じるのは私だけだろうか。
従って、幼児期は女の子のほうが育てやすいのでしょうね。

子どもの描画の世界

年中5歳になる子どもたちは、理屈よりも感覚で行動できます。
従って目で見た物も心で感じた物も手で触った物もその時の印象で、心にイメージした世界を大切にしてこだわります。
いやな物はいや、ほしい物はほしい。
「どうして?」ときいても「すきだから」という感覚が先行します。
ですからこの年齢はたくさんの経験を広げることが大切です。
絵を描く時でも子どもは、自分の目で見た物、感じたものを大胆な描線で一気に描きあげます。
「遠い近い」や「大きい小さい」理屈では無く感じたままに表現します。
五重塔を描いてもかっこよいと感じた先端の五層が大きく描かれたりします。
そこで時々、このように描いてみようと提案します。
例えば大好きな先生のデッサン、足から描いてみることを提案しました。
だいぶ戸惑ったようですが、どのように描いたかは?
楽しみですね。
6歳年長になると伸長期、背丈が伸びて頭でっかちの5頭身が足が伸びて7頭身になります。
描画活動でも天と地の水平線が描かれます。
左を細く右を太く描いた坂道、手前を広く色濃く塗り、遠くを薄くぬることで奥行きのある遠近表現、空に浮かぶ雲の大小や形…
様々な角度からものごとを考えたりする柔軟性も出てきます。
水族館の魚群を見ている友だちを小さく描き、その姿を手前で描いている自分を大きく描く工夫もわかってきます。
こうした学習は
1.考える
2.さらに考える
3.イメージする
4.いろいろ工夫する…
という環境学習の場が必要です。
そのためには答えはたくさんある選択できる場が用意されてなくてはなりませんね。
暗記で学習するより、答えが複数あり答えに至る経路も複数ある問題を解くこと、考える習慣が大切です。
そうした意味で描画表現でも、自分の一番大切な部分を強調することを大切にしています。
例えば跳び箱を跳ぶ子どもの手指の表現、自転車を描くときの足の位置等…
自分が体験で得た感覚を表現する力が身についてくると、そのポイントが自然に表現されてきます。
この時期は、時間の感覚がわかるように、想像力も創造力も広がっていきます。
言葉が大人以上のスピードで獲得しているだけに、嘘と本当の区別ができる能力が、さらに豊に表現された子どもらしい絵が描かれていきます。
どうぞ、世界に一つしか無い子どもの世界。
一本の描線にも語りかけてくる子どもの心が表現されています。
お子さんの絵に語りがけて下さい。


冬は空から夢が降る

私はこのところよく夢を見ます。
明け方、ドラマのような夢を見ることがあります。
また夢の続きを見たりします。
面白い夢は時々、日記帳に書き留めたり、印象に残る場面をスケッチしておきます。

12月18日の夢。
子どもたちがどこかの素敵なステージに立っている。
私が太鼓をもって雲の上にいる。
突然の風が吹いて、大きな雲のプールに腹ばいになった幼い子どもたちが、下界を見下ろしながら地上のステージに向かっていく。
ステージのカーテンが虹になり、子どもたちが楽しそうに私に向かって手を振っている。
もしかしたら、前日の年長組の浦島太郎のオペレッタの印象が脳裏に残っていたのかもしれません。
12月のこのせわしい時期に、この年齢になっても日々の生活においても、子どもの世界のような幻想的な夢を見ることが出来てとても幸せです。

2017年もあとわずかですね。
今年を象徴する漢字は「北」でした。
「北」はシャープで、鋭さ・キレを連想しますね。
お相撲さんも北のしこ名が多いですね。
北朝鮮の脅威を象徴したのかもしれません。
私の「三年日記」を読んでビックリしました。
昨年もこの12月の日記、1日違いで子どもたちと雲に乗って下界を楽しそうに覗いている夢スケッチが描かれていました。
2年も続けて子どもたちに囲まれて同じような夢をみるなんて…
私の中学校の頃からの恩師、絵画講師の合志先生が怪我をされて、今年から私が園児と一緒に絵を描いています。
大学の講義とは異なり、子どもたちが絵を通して語りかけてくる世界(子どもの宇宙)を理解することが基本です。
私の半世紀にわたる経験からすると、今の子どもたちは未知の世界を生きる力を秘めています。
創造力も心の世界の映像も豊かです。
今までもサイドからお手伝いしてきましたが、子どもたちの秘めたる力にあらためてふれた一年でした。

年少さんが語りかけてくる。
耳を寄せるが、よく聞きとれない。
聞き返すことをためらって「そうだね。よかったね。」と適当に答えたりして反省することがあります。
音声は聞こえても、言葉・単語が聞き取れないのです。
今年はもう一歩踏み込んで「ごめんね。もう一度言ってみて」と子どもに聞き返しています。
絵を描く時の子どもは、つぶやきます。
そのつぶやきに耳を傾けると、一本の描線に驚くような表現があることにあらためて驚いています。
もっと心の表現する術を援助してあげたら、もっともっと子どもの心は、広がっていくことを感じたりしています。
子どもの主体性を尊重するということは、子どもを放置・放任することではありません。
我流ではなく、子ども同士のルールや運動など基礎能力を高めるサポートをすることで子どもの主体性が発揮できる途が開かれるはずだと反省したりしています。
子どもが自分の思いを絵で表現する・リズムにのって歌う踊る・ものを作る等の表現活動においては、より個性を発揮するための基礎基本の学習方法を極めていくことの必要性を感じ、来年はあらためて子どもとの学習を大切にしよう。
年長の絵画指導の時間では、画材の選び方鉛筆や絵筆の持ち方使い方を含めてデッサンを何度も繰り返して練習してきました。
「基礎基本を学ぶ世界」と「個性や主体性の重視」は、決して相反するものではありません。
子どもの世界は夢見る自由発想の戯れが許される世界です。
したがって型から入り型で子どもの個性を縛ることは、その子の主体性の芽を否定することになります。
私は子どもと絵を描く時「描画表現における基本の学び」と「ファンタジックな戯れ」の世界の大切にしています。
「サンタクロースが本当にいるの?」という質問に幼稚園児であれば「フィンランドであってきたよ。」
サンタ村で握手している写真を見せてサンタの真似までします。
小学校5年生あたりになれば、その子の心の判断にゆだねます。
ファンタジーと現実の世界で生活している幼児にとっては、不思議なことが多く質問することも多いのです。
子どもらしい戯れの世界で、時には一緒に楽しむことも大切ですね。
私は脚本家である三谷幸次さん演出の舞台劇が好きです。
あのテンポの良さは、三谷さんのイメージ軸がしっかりしているからこそ、その場のひらめきが躍動するのでしょうね。
ところで年長さんの表現発表「うらしまたろう」は如何だったでしょうか。
「浦島太郎が、助けたカメに迎えられ竜宮城での乙姫さんのおもてなし。約束を守らず、玉手箱を開けたらひげ爺さんになって現生に戻った。」という昔話。
この単純な昔話を126人の幼児が、あの狭いステージで表現する。
「主役を作らずどの子も3回以上は、ステージに立てる」という約束を基に、子どもたちと話し合ってお話作りを始めたそうです。
子どもが話し合って決めるれば話は広がります。
一週間前は、話がつながらなかった。
本番2日前の年少・年中さんを迎えてのステージ、年少さんも真剣に見てくれて、年中さんから拍手が出ました。
子どもたちの発想もさらに広がったようです。
そして迎えた本番の熱気。
昔懐かしいシブがき隊の「寿司食いねー」の曲に乗って、寿司屋に扮した魚たちが自分をネタに、シャリを見立てた枕の上にブリッジをして「いっちょあがり!」。
女の子が一番やりたかった白雪姫の継母と乙姫様の二役。
「世界で一番美しいのはだぁれ?」と乙姫様が鏡に映る自分に自画自賛。
したがって乙姫様が10数人、それぞれ鏡に写した表情が輝いていましたね。
元気の良い女の子も希望した海賊軍団。
日常と同じような松組女子パワーに、おされ気味の若殿様タイプのうらしまさん…頑張りました。
「がんばれ」の声援、どうやったらあの海賊軍団を倒せるか。
うらしま会議の結果、大ナタの武器で一撃、どうにか浦島が辛勝しました。
オペレッタというよりも吉本風の劇にならざるをえませんでしたが、何より子どもたちは楽しかったそうです。
狭い席で最後まで子どもたちの劇に参加して手拍子で激励してくださいましたことを感謝いたします。 
年中さんのオペレッタは、一年間実践してきた生活保育をオペレッタ風に構成しました。
日常の保育の様子を子どもたちが生き生きと再現してくれて、先生たちも楽しんでいる幸せなステージでしたね。
そして年少さんも私が夢の中で見た雲の上から子どもたちが降りてくるようなかわいいステージでしたね。
大きく成長した子どもたちにサンタさんとお正月さんが、ほめてくれるでしょう。
来る2018年はどのような年になりますか。
「夢」ある年にしたいものですね。
末筆になりますが、母の会をはじめ各ご家庭のご理解ご協力をもちまして2017年の生活保育を無事納めることが出来ました。
どうぞ皆様ご家族そろって良きお年をお迎えください。



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