ひろすけ童話の世界

海の日の連休、山形県の研究会の帰路、ローカル線の車窓に広がる蔵王連山のみどりのパノラマに魅せられて高畠駅で下車しました。
まほろばの里・童話のふる里・高畠駅の構内に赤鬼の立て札がありました。

ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。
ドナタデモ オイデ クダサイ
オイシイ オカシガ ゴザイマス。
オチャモ ワカシテ ゴザイマス。

高畠は「泣いた赤鬼」の著者、浜田廣介のふるさとです。
数年ぶりに浜田廣介記念館を訪ねました。
サクランボ・ラフランス・葡萄・モモ・果物の生産農家畑に囲まれた記念館の童話ルームで「ないた龍」「ある島のキツネ」「むくどりの夢」…
廣介童話の世界が広がっていました。
7年前になりますが、広介童話の夢を継承した雪が軒先まで積もる「むくどり幼稚園」に絵の指導に2年間ほど伺っていたことがあります。
残念ながら「こども園」に移行して幼稚園は廃園になりましたが、童話館に当時のスタッフがいて、廣介の「優しさ」を語り旧交も温めることができました。

「お月様と雲」

カラスは、杉の木に、ねどこをつくってすんでいました。秋もだんだんしまいにちかくなりました。
からすは、だんだんさむくなってきました。ふとんをかけてねなくては、ねむられそうもありません。
からすは、枯れ葉をあつめました。ねどこにはこんで、ねるときに、かれ葉をからだにかけました。
うすいけれども、きの葉のふとん。
風が夜中にふきだしました。からすはさむくて目がさめました。
「やあ、まるみえになっている。」
高い空から見おろして、お月さまがいいました。
「かわいそうに、なにかうまいくふうはないか。」
夜の雲が、ふんわりうかんでいました。雲はながれてだんだんにお月さまのそばにきました。
「雲さん、雲さん、そら、あの森の木のえだに、からすがいましょう。みえませんか。」
雲はちらりと目をむけました。森のはずれのすぎのきに、
カラスが一羽しょんぼりと かがんでいるのがみえました。
「ええ,はっきりとみえますよ。くろいはだが、あれではきっとかぜをひく。」
「あなたはちょうど わたみたい。どうでしょうか。すこしばかりちぎってとって、
鳥のからだにかけて やって くださいませんか。」
「わかりました。」雲はさっそくひきうけました。
だんだんひくく すぎの木に近づきました。
「わたしのからだぜんたいにつつんであげよう。」
そういって、雲は ふわりと えだのところに とまりました。
からすは、そのばん、もう一ど、ねて、
あおいごてんにすんでいる白いからすのゆめをみました。

(ひろすけ童話通信 第20号)

廣介童話の特徴は、語りが具体的な映像になって読む者の心におはなしの世界がひろがっていきます。
廣介の童話の特性は、ゆったりと語りかけてくるゆったりとした世界です。
それは絵筆をもってキャンパスに描くあの描線の世界でもあります。

「小さな島のきつね」

小さな島が、ありました。まっかなツバキが咲いていました。
うららかな日にてらされて、花は、みな、ふくれていました。
いま、さき出そうとしているつぼみもありました。
青黒い葉は、つやつやと光っていました。
そして、青い海の 上には、いくつかの帆が、銀のようにかがやいて、
うごくともなくうごいていました。

廣介記念館には「ある島のキツネ」を立体動画で楽しめるマジックスクリーンでは下記のようなキツネとおばあさんの舞台が展開します。

のどかな島のお寺に目が見えない耳が遠いおばあさんが、おじいさんの命日の供養にやってくる。
あいにく和尚さんは留守。
おばあちゃんはいつものように仏壇の前に座ってお布施をだして「おしょうさま、どうぞこれでおきょうをあげてくださいまし」
キツネは断りようにも言葉が通じない。
キツネはすまないと思いながらおばあさんを仏間に案内して、袈裟と衣をからだにかけて心をこめて見よう見まねでお経をあげました。

あらためて立体動画で見て「もしかすると、おばあちゃんは何もかもお見通しだったんではないか?」と感じました。

廣介の長女・留美が描く廣介伝を読むと、廣介の生まれ育っていく境遇はかなり複雑。
しかし、いつも彼の周辺には彼の文芸才覚を大切にする叔母や校長や友人が居て廣介を支えた。
この信頼関係とする強い絆が、廣介童話を貫く「友を信じるやさしさ」「信じることを貫く輝き」なのかもしれません。

私も年齢を重ねるごとに心が狭くなる気がしたりします。
その一方で、幼い子どもは輝いて見え、どの子もどの子も受け入れられるようになります。
キツネがなせる諸行を受け入れるおばあちゃんは、年齢の功ですかね?
キツネが、和尚の役を演じている様を肌で感じているのかもしれません。

「泣いた赤鬼」で描く友を信じる廣介の世界観は、他人と心を共有できる心の深さかもしれません。
老いて身体が動かなくなるぶんだけ心を広くして、時として見えないふりをする・聞こえないふりをする・気がつかないふりをすることも必要なのかもしれませんね。

廣介動画が描く「泣いた赤鬼」の世界は幼児教育の基本です。
「友だちと上手にコミュニケーションをとる」
「自分の気持ちを上手にコントロールして友だちと関わる」
「時として自分の気持ちや行動を上手にセーブする」
そして「日常の生活での基本的なルールが身に付いている」
この課題は、私たち大人にとっても大きな課題ですね。

厳しい熱暑が続きます。無事に一学期も終了しました。
ご家庭のご理解を頂き、お子さんを無事お戻しすることが出来ました。
この休暇期間、スタッフは研修や準備出勤で勤務していますが、貴重な休暇期間は二学期に向けて充実した時間として過ごせるよう努めます。
二学期に元気でお会いできるようお子さんをよろしくお願いします。


さまざまな体験「直観力を育てる」

子どもは、コンクリートの塀にカタツムリがいるのも知っています。
何故コンクリートにカタツムリがいるかは、小学校の時間で習います。
コンクリートにカタツムリが必要な養分があるのでしょうね。
この時期、お日様が沈む方向の空が暗くなって黒い雲が流れて暗くなると、雨が降ったり雷がなることも年長になるとわかります。
梅の実が赤く熟する頃になると、雨の日が続くことを小さい頃、祖母に教えられました。
長雨の降るこの時期を「梅雨」と書くと気づいたのは、高校の国語の時間でした。
教えられたものはすぐ忘れてしまい身につかないものですが、自分で気づいたことは体に染み込んでいろいろと役に立ちます。
したがって、何もかも初体験で不思議なことが多い幼児期には、その理由や仕組みまで教える必要はなく、その「ふしぎさ」をたくさん体験する機会をつくってあげると良いですね。
台風の翌朝、出勤前のパパと近くの公園に散策しました。
木が倒れたり、枝が折れて璃鳥の巣が落ちていたりする…
池に落ちた棒を拾う。
「あれ、さっき棒が折れて曲がってたのに…まっすぐ…どうして?」
ここで「光の屈折といって…」という理科の授業の必要はありません。
「いいことを発見したね」と受け止めてあげるといいですね。
やがて理科の時間で学んだ時「幼稚園の頃、あの公園で見た曲がった棒は…ああそうだったんだ」と気付くことでしょう。
幼児期は「あの池には、不思議な妖精が住んでいて…」と、子どもらしい自由な発想を膨らませることも大切ですね。
時と場合によりますが、その子どもの奇抜な発想に興味をもって耳を傾けてくださるといいですね。
また、子どもが考えたことに耳を傾け、間違っていれば気付かせてあげて、本当はどうなのかを一緒に探っていくことで考える習慣や調べる力を育てていくことも大切です。
強いものが生き残り、弱いものが淘汰される。
この弱肉強食の社会が自然界の摂理です。
しかし人間は考える力を磨き、知恵として道具を作り、道具の使い方を極める術を磨き、自然界の摂理を超えて、生き残る術を極めました。
病気になれば医術で克服し、病にならないように病原菌と戦い身を保全する術も磨いていて生きています。
しかし、これだけ科学の力に依存する生き方を追求すると、 ナビの普及で方向音痴になりかねないように、人間が虚弱になり自然と共生する適応力・抵抗力・生きる力が衰えていきます。
森林開発が進めば森の樹木は生き残るために、より強い花粉を遠くへ飛ばす。
化学が医学が進歩するほど、いろんな病原菌があふれいます。
地球の歴史が地中深く埋没させた過去の資源や廃物を、地中深く掘り上げて資源として消費して、この汚染された地球環境をさらに汚染させる過ちを繰り返してはなりませんね。

年長児のお泊まり会

いよいよ年長組さん、楽しみにしていた大房岬のお泊まり会ですね。
楽しみだけど、ちょっぴり不安かな?
3年間一緒に育った仲間と一緒の部屋で同じ布団で、一晩語り合えるんだ。
海も山もバスの中もキャンプファイアーも楽しいことばかりさ。
おねしょがシンパイ?
大丈夫、先生が上手に見守っているから心配なし。
「他人に迷惑をかけない・自分のことは自分でする・時間を守る」
このルールさえ守れば、楽しいことばかりだから心配することないよ。
大房岬は魚とびわとスイカがおいしい東京湾に突き出した海に囲まれた公園内の施設です。
隣が立派なリゾートホテル、周囲は県立公園の野外施設、坂を下っていくと館山湾に面した白い砂浜のビーチで岩あそびができます。
去年のひばり組さんは、浜辺で波遊びをしたり、岩場でカニや小魚や貝をとったりしました。
岩にたまった海水で温泉あそびでゆったりしました。
泊まるところは貸し切りでゆったり過ごせます。
ここは小高い丘の上にある災害時の緊急避難場所に指定されているので安心です。
宿舎から500mの広場でキャンプファイアーをします。
満天の星空が空いっぱいに広がり、キャンプファイアーの火の粉が美しい幻想の世界です。
先生たちの名物「ファイアーショー」は一生の思い出に残るでしょう。
展望台からみる対岸の三浦半島の夜景も美しく、打ち上げ花火大会を見えるかもしれません。
翌日は天気が良ければ鋸山にチャレンジします。
コースが色々選択できるので、当日のコンディション状況で判断します。
頂上から見る絶景は一生の多い出に残るでしょう。    
観光バスがシートベルトの関係で大人と同一料金になったりして、ご負担をおかけすることになりそうですが、なるべく簡素にしてしかも安全で充実した思い出のページになるように努めたいと思います。
ご理解ご協力のほどお願い申し上げます。


両親の愛を注ぐ「子ども輝け命」

可愛い年少さんを迎えて、まるでオーケストラの音合わせのようなにぎやかさです。
やっとオムツがとれた年齢、お母さんから離れることは大きな試練ですね。
自立心が芽生える時の産声でしょう。
しばらくすると自分の位置が判るようになり、元気にあそべるようになります。
デパートのおもちゃ売り場でひっくり返って、大声で泣いている幼児の姿をみかけます。
自分の思いが伝わらない…
「どうして?どうして?」
泣き足をばたばたして…
自分の気持ちと戦って、もだえているのでしょうね。
「かってにしなさい!」としかりつけますか?
それとも「そうよね。そうよね。」と抱きしめるほうですか?
「かってにしなさい!」と叱るばかりでは、子どもは心を閉じてしまいます。
幼い子どもでも事前に説明しておく習慣をつけるといいですね。
例えば出かける前に「今日はアイスクリームは買わない」と説明しておくことが大切です。
子どもだからこそ事前の説明が大切なのです。

昔から一つ二つ…五つと「つ」で数える年令までは、両親の愛をたっぷり刷り込んで育てることが大切といわれています。
両親の愛をたっぷり刷り込まれた子は、10歳を過ぎる頃になると親から自立して、自分で自分をコントロールする自律心が育つといわれます。
たっぷり愛を注ぐことと過保護は異なります。過保護とは、親の一方的なお節介のことです。
「何歳から躾(しつけ)をしたらよいのか?」という質問が寄せられます。
2歳から3歳になる頃に、少しずつ根気よく繰り返して身の回りの生活の基本を身に着けられるようにいけばよいと思います。
「しつけは子どもからの願いや思いを満たしてあげたお母さんの特権。今度はお母さんの希望を子どもに伝える番です。」と云われます。
躾は可愛がってあげた代償です。
子どもへの愛情を注ぐことが前提です。
象をロープに縛って飼育すると、象はやがてロープを外してもロープの距離範囲しか行動しないという事例があります。
人間の子どもも大人の都合で躾をすると「自分でやりたい、やろう」という自主・主体性が育たなくなります。
まず「やりたい」という気持ち(意欲)を大きく育てることが大切です。
やる気は掛け算です。やる気がゼロなら能力が10あってもゼロです。
「やりたい意欲」をもってチャレンジしていくうちに、自分でやれることと人の手を借りなければできないことが理解できるようになり、友だちと協調する心が育っていきます。
子どもは大人の姿を見て「やって、いいこと」と「やってはいけないこと」「やらなくてはいけないこと」を学習していきます。
大人目線で子どもを動物の飼育のように訓練することを「やらせ」と称します。
確かに則効果的ですが、自分で自分を律する力とか、工夫し創造し、友だちから学ぶ「気づき」「意欲」が育たなくなる心配がありますね。
幼児は二足歩行ができる1歳の誕生の頃から言葉を発するようになります。
言葉の発語と歩き回る自立・意欲とは比例します。
自分で歩けるという特権を得た赤ちゃんは、関心のあるものを求めて歩き回ります。
学習のスタートですね。
「危ない!」「だめ!」とイエローカードを振りかざし、ホイッスル吹くお母さんとの鬼ごっこをしながら、子どもは育っていくのでしょうね。
母と子の鬼ごっこは3歳のお誕生の頃まで続きます。
この「母と子の戯れあそび」(ジャグリング)が、幼稚園では仲間とかかわってあそぶコミニケーション力として育っていきます。
人間の生きる力は、仲間とのコミュニケーションをはかる能力だと思います。
3歳までは家庭で学び。
3歳過ぎると友だちとの関わりの中で学びます。
友だちからものを学べない、友だちにものを教えることができない子どもは、社会的に成熟していきません。
エリクソンは「社会に必要な道具・知識・生活体験を仲間と共有して生きていく経験を積み重ねることで人間は成熟していく」と云います。
両親の愛をたっぷり受けて育った子どもは、時が来れば自主的に友だちという群れの中に入り、その中で生活していくようになります。
幼稚園は遊びを通して子ども同士が学びあう学習の場です。
子どもたちは幼稚園という集団の場で、穴の掘り方・友だちとのかかわり方・縄跳びのとび方・木の登り方・聞き方・おり紙の折り方…を学習していきます。
年少の時は枠の中で保育すると、一見効率的に見えますが、子どもの自主体制が育たず「象のロープ」になりかねません。
そのためにも健伸の教育は、3歳児の時はできるだけ拘束しないでそれぞれの自我な発揮の場を保障される環境を大切にしています。
年中になると「自分の姿が友だちの心にどのように映るか」が見えてきます。
この頃から仲間と共有して生活していくためのルールや基本的な生活習慣を具体的に子どもに「気づかせ」ていく環境の基にカリキュラムを編成ています。
年長は友だちと力をあわせる協働生活の中で、子ども同士学びあい、育ち合います。
「子どもが子どもから学ぶ」「年長者が年少児に教え伝える」この学びの循環がとても大切です。
教える子は教えることで育ちます。
なわとび・木登り・コマ回し・折り紙・稲刈り・脱穀…
友だちとかかわってたくましく生きる「生きる力」の教育は、この年長の頃の経験学習で培われていきます。
幼児は全身が感覚器官です。
全身の細胞の触手を張り巡らせて、環境に反応して育っていきます。
子どもの育ちは環境に大きく影響を受けます。

年長さんと創立記念樹「みずき」のスケッチをしました。
東北に伝承される伝統こけしの素材となる「みずき」は、この季節一日にドラム缶何本かの水を吸い上げるといわれます。
昭和47年に武藤初男さんと私と二人で植えた幼木がこんなに大きく成長しました。
子どもと一緒にスケッチした2日間、みずみずしい空気を吸ったような幸せ感を味わうことが出来ました。



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