友だち感覚でお子さんと話して見ませんか

6月は新緑が萌え、自然が躍動する季節です。
幼稚園もこの季節長雨が続くと、あちこちに水たまりができます。
年少さんはドロンコスベリに飛び出して、追いかける先生と鬼ごっこを演じたりします。
子どもにとっては枯れ枝のたまり場が忍者小屋になったり、狭い裏の通路があそびの秘密基地であったりして、目の届かない幼稚園の隅々が、子どもにとっての「パワーポイント」になるんでしょうね。
安全面、衛生面に配慮しながら、子どものボウケン心やチャレンジ心を沸き立たせる環境づくりも大切です。
数年前のことですが、4歳になったMちゃんが、私を見つけ駆けてきて、目の前でハイタッチ。
小さな両手を冠のように頭にかざしてかがむ。
くねくねと立ち上がり、パッと両手を開く…
「これ なぁんだ?」。
「わかった。チューリップでしょう」
「あたり〜っ」と両手で丸をつくって立ち去っていきました。
女の子ならではの身体表現。
なんともほのぼのとした瞬間でした。
ことしも絵の講師を兼任します。
子どもと一緒に絵を描いている時がとても幸せです。
絵を描いていると、子どもたちがよってきて、いろいろと話が弾みます。
先週も園庭の片隅でスケッチブックに色づけをしていると、年長のK君が「スケッチブック」をもってきました。

K「先生の絵、じょうずだね」「ぼくもかいていい?」
私「もちろん ウェルカムだよ」
K「じゆうに かいてもいいの? 」
私「すきなものを描けばいいよ。じゆうでいいよ」
K「せんせーしってる ぼくのママ うるさいんだよ」
私「それどういうこと?」
K「はを みがいた? おべんとう もった? いつも いうんだょ」
私「kくんが やるべきことをやらないから いわれるんじゃない?」 
K「ママはうるさい パパもいってるよ でもぼく ママだーいすき」「ぼく、いま おかねもちになりたいな」
私「どうして?」
K「だって ママが しあわせになれるから」
私「幸せって お金では買えないとおもうよ」
K「お金が あれば、マンションも電動自転車もかえるよね」
私「電動自転車? マンション? きみのものはかわないの?」
K「たからくじ 1まんえん あたれば、マンション かえるんでしょう」
私「ママも先生も K君の気持ちだけで うれいよ あたるといいね」

6月は父の日です。
「おとうさんありがとう」と感謝する日なのでしょうが、幼稚園でも「お父さんとあそぼう」のタイトルでお父さんのご来園楽しみにしています。
どうぞお父さん、お気軽にいらしていただき、お子さんとご一緒に同じ目線になって気軽にあそんでみて頂ければ幸いです。
子どもたちは、この日をなんとなくてれくさそうにしながら、ちょっぴり緊張して、実はとても楽しみにしています。
子どもにとっては、お父さんは、お母さんとはちょっと異なった存在なのかもしれません。
私も4人の子育て経験がありますが、妻の子どもへのかかわりは、自分のお腹を痛めて出産した自信からくる「思い」があるように感じます。
特に息子に対する「くすぐったいような父親としての子どもとの距離感」に比べて、母親は息子を丸ごと包みきれる愛着を感じます。あくまで我が家の子育て間ですが…
しかし、私のように父親の生活体験を持たない母子家庭で育った子どもでも、父親は「小僧の神様」で灯台の光です。
父親は、いざとなれば途を照らしてくれる羅針盤なのでしょう。
そこで、ちょっとお子さんとの距離感を感じるお父さんへのヒントです。
「子どもとあそぶ時は、子どもになってあそびましょう。」
あそびの真髄は「強者が弱者にあわせる」ことだそうです。
「お父さんはキャッチボールを楽しまないでコーチになっちゃうんだ」

小学生3年生の作文です。
散歩に出てブランコをこぎながら、お父さんの幼い頃の思い出や夢を話してくださるのもよいですね。
4歳ぐらいになると、わが子もこんなことを考えているんだとびっくりさせられることがあります。
「愛」について「友だち」について「幸せ」について、お母さんのことについて、そしてお父さんの仕事についても「話し合って」みてはいかがでしょうか。
この時期の子どもたちは、幼稚園で穴の掘り方、友だちとのかかわり方、縄跳びのとび方・木の登り方・直観力・思いやり・判断力を見よう見まねで学習していきます。
その過程でお父さんの人生のアンテナになる灯台の灯りは必要なのです。
これからの季節、日頃お忙しいお父さんが、アウト・ドアーなどでキャンプやハイキング、バーべーキュー等とお出かけになる機会が多くなると思います。
時間がとれないお父さん、仕事場にお子さんを連れて見学するなどは難しいことですかね。
電車に乗って仕事先の商店街やビル街、工場見学などを散歩してみるのはいかがですか。
お父さんが話してくれる現実と空想がミックスされているお父さんの即興話は子どもにとって最高です。
大人で云えば、定番通りの高級店よりも、時にはガード下の屋台の焼き鳥屋を好むように、子どもも同じ姿勢で大人が楽しんでくれる世界の法がずっと好んだりするものです。


〜創立期を想う 人物往来〜「運」とは良き人との出会い

久しぶりに国際色華やかな日本橋から新橋まで散策しました。
「楽しいところには、人が集まりおどおどすると吹きだまりになる」
そうですね、銀座は華やかでいつ来てもワクワクしますね。
昭和38年。東京オリンピックの頃、私は、新卒で京橋の広告代理店に就職しました。
当時の銀座通りには都電が走っていましたが、今以上に着飾った日本人で賑わい格式があり、深夜のタクシー争奪戦で活気に満ちていました。
ある日、街頭で易者に呼び止められて手相を見てもらいました。
「28歳で独立する運命腺が出ているよ。良い運を背負っているから、積極的に生きるといいね。」と言われたのが26歳。
翌年の正月、不思議な縁でオランダの豪華客船チルワ号に乗船して香港マカオへの旅にでました。
船中、大手カメラ会社の専務のお嬢さん夫妻との出会いが縁で、起業したのが28歳でした。
交通費にも事欠く日々、新宿で学生時代の友人と偶然出会い、彼の紹介で芸術教育研究所の多田信作さんを訪ねました。
幼児教育が注目されたこともありテレビ各社が子ども番組に力を入れ始めた時期、その中心軸にいた早稲田教育学部の先輩・多田信作さんとの出会いは、まさに天運とも言えました。
その日から芸研の所員待遇で、昼は幼稚園・保育園を巡回。
夜は芸研のアートスクールで現場の園長・教諭や指導者と幼児教育の基本を多田信作さんから叩き込まれました。
昭和44年。八王子の秋川自然公園の隣接地を利用した「子ども村」構想が浮かび、多田信作氏の推薦もあり応募。
子どもの宿泊構想案が採用されました。
企業への協賛訪問の結果、200名が宿泊できる大和ハウスの「子どもロッジ」、ぺんてるの「絵画村」、ヤマハの「音楽村」等も完成して、「子どもサマーランド村」の初代村長に就任しました。
この年の宿泊は62ヶ園800名近くの園児が、自然の中でカブト虫や沢蟹と戯れる川遊びを楽しみました。
26歳の時、易者に「良い運を背負っている」と言われた「運」は、私にとっては「人と仕事の出会いに恵まれる運」だったのでしょうね。
幼稚園の先生だった妻と出会えたのも最大の幸運でした。
脱サラをした会社でお世話になった黒崎真二社長夫妻に仲人をお願いして、母校の大隈会館で挙式。
入社時、黒崎さんには銀座・赤坂・六本木等の一流の華やかな舞台の表と裏の人間模様、そして、あそびと仕事の境界線から学ぶ直感力と感性の世界をすり込まれました。
昭和46年。「太陽と緑を子どもと共に」というタイトルで、幼児に囲まれて生活する私の日々の姿が雑誌に特集で紹介されました。
シンガポールの日本人向けの幼稚園の開設への誘いがあったり、NHK「歌の絵本、手をつなごう」の佐久間利直さんや、ピンポンパンの坂本新平さんとの出会いがあり、毎日が多忙でした。
静岡から健伸創立の片腕となった阿久津博君が訪ねてきたのもこの頃です。
そんな折、知人の紹介で船橋の武藤初男氏の再度にわたる訪問を受けました。
「農地解放で得た土地を幼稚園として地元に還元したい。」という相談でした。
物静かで誠実な武藤さんの人柄に説得されて、新婚間もない時期に市川から船橋に転居して、幼稚園設立に向けてゼロから出発しました。
昭和48年、木造3教室で幼児教室と児童教室の健伸学院を開園しました。
佐久間俊直(NHK手をつなごう)さんを初代園長にお迎えしました。
聖徳大学に喜田史郎先生を訪ねて開園当初の教諭を紹介いただき、順天堂大学の太田昌秀先生(体操世界選手権9連覇監督)から新卒の只野誠志先生(幼児体操)松岡一志先生(スポーツクラブ)を専任として紹介していただき、柴田衣子先生(幼稚園主任)、阿久津博先生(児童教室)が中心になってスタートしました。
また、足立区の幼稚園で実習中の根岸(青山)三重子先生との出会いもありました。
すてきな人材との出会いがさらに広がり、有名な御苑学園の仲田あつ子さん、文部省の高杉自子先生との出会いもあって、現在の健伸の教育課程の基盤を培うご指導をいただきました。
創立早々にもかかわらず、ユニークな教育がマスコミで注目・評価されました。
翌年、学校法人健伸学院として認可を受けました。
認可をいただくにあたり、私学審議員の松澤マサ先生へご挨拶に伺いました。
第一声「あらぁ やっぱり アキオちゃんだったのね」
無認可の一年間を叱責されながらも、快くご指導を頂きました。
さらに健伸行田幼稚園の開設にあたっても、松沢マサ先生から強いご推薦を頂きました。
幼い頃、市川で隣近所の縁で母が親しくお世話になり、私も抱っこされて可愛がっていただいたご縁でした。
昭和51年、健伸行田幼稚園を開園。
初代園長に喜田史郎先生が就任。
阿久津博先生が担当理事として基盤づくりを担いました。
学院長の石渡秀男さんは、自民党の副総裁であった川島正二郎代議士のご紹介で知己を得て、私が市川在住の時、建設省の専門委員として青少年の指導に当たられた実力者です。
「柴田君はいずれ大学まで創立するから皆で応援しよう」と自ら学院長を無償でお引き受け頂きました。
健伸学院創立時の多額の借入金の継承に加えて、行田幼稚園の新設建築資金を私学振興財団の融資に切り替えるにあたり、石渡秀男先生の側面からの援助がありました。
浜松からお招きした音楽講師の佐藤忠三先生。
ある日「園章の麦のように健やかに伸びよ」という願いを込めて園歌をつくりたいと話すと「今日、浜松に帰るまでに作詞して下さい」の一言。
私は別室に入り3時間籠って作詞。
佐藤先生はその場で曲を弾き、次の週に楽譜を持参されました。
絵画講師の合志幹雄先生は、私の中学時代の恩師で創立からの絵画講師です。
子どもたちに阿蘇山の雄大さを語り、一生阿蘇を描き続けた熱血漢です。
昭和女子大の理事長・学長であり、私学界総帥の人見楠朗先生には実子のように厳しく教えられ育てられました。
晩年の海外出張の折にはいつも同行させて頂きました。
ロシア・ヤスナポリヤーナのトルストイ学校での学びは、わたしにとっては人生観そのものに大きな影響を受けるほど感銘をうけました。
人見先生が吉田松陰が眠る松陰神社の人見家の墓地に埋葬されるまで28年間、昭和女子大で学生の授業を承りながら人見教育の真髄を学ぶことが出来たのもすてきな「運」との出会いでした。
人見先生の遺言は「風尚」。
「柴田さん。学校経営は門をくぐるとき漂ってくる私学としての風の香りが大切。それを『風尚』と呼ぶ。幼稚園には子どもらしい香りが漂うように努めなさい」
78年、人生さまざまなことが起き、様々な方との出会いがあり、ご指導をいただきました。
「人生に運があるなら、良き運とは人とのすてきな出会いの結晶である」と私は信じています。


天を貫いて生きる

「さぁー春ですよ」
幼稚園もピカピカに磨かれて、ポカポカテクテク手拍子で進級した年長さん、年中さん、そして新入園児の年少さんを迎える準備が整いました。
「よろしくおねがいします」
今年の春は、あわてんぼう坊さんで駆け足でやってきましたね。
梅と桜・チューリップ・つばき・菜の花…
花のダンスも重なってにぎやかですね。
年長さんの「みどりの棟」の2階からは、真っ白な梨の花が絨毯のように広がっています。
年中さんのお友だちを迎える「みずの棟」も明るくピカピカになりました。
そして3歳児・年少さん「ご入園おめでとうございます」
可愛いタンポポ・スミレ・レンゲ・つくしのグループ…
色とりどりの年少さんを迎えて、幼稚園はしばらく春爛漫に賑わいます。
今年の春は寒かったり暑かったりしているうちに、葉桜になってしまいました。
自然界も忙しそうですね。
自然界の春の舞が強すぎると、人間は花粉症に悩まされたりして自然への適応力がよわったりします。
私たちがカーナビに依存するあまり、運転感覚が鈍くなっていくのと同じで、地球の環境も季節感が鈍っているのかもしれませんね。
子どもたちも人間としての本能的な直観力を失うと、自然と共生する適応力・抵抗力が育たないことが心配されます。
動物などの生態にも異変が起こっています。
心なしか雀の姿を見かけなくなりました。
例年訪れてくれる軒下のつばめの巣も見かけなくなりました。
カタツムリもトンボも見かけませんね。
幼稚園のビオトープにアメンボが訪れて喜んだのは数年前のこと…
ヤゴは?モンシロチョウは?バッタは?ザリガニは…?
子どもは風を切り、原っぱを走り、小川で戯れ、木に登り、泥んこになってあそぶことで、命の営みの術を身につけます。
整備された公園より原っぱが良い、校庭も園庭もどろんこの方がずっと良い。
子どもは水と泥と木であそぶ。
江戸も明治も昭和・平成の時代になっても変わらない子どもの学習方法ですね。
「さぁー、子どもたちを泥んこにして、人間としての直観力を育てましょう」
 
この春、研修期間を頂いてドイツのフィッセンにある「AWO幼稚園型保育所」、環境整備都市として名高いフライブルグの「森の幼稚園」、そして健伸の教育の支柱にもなっている南フランス・バンスの「フレネの学校」をツアーバスで視察してきました。
船橋市ではデンマークのオーデンセ(アンデルセンの童話で名高い)と姉妹都市を結ぶにあたって、海外の幼稚園間の交流を深めてきました。
健伸では教職員の海外交流に積極的に取り組み、最近では4回の海外研修を重ねてきました。
乳幼児保育所や学童保育のシステム等の実態視察や研修を重ねて、学童保育や未満児保育の導入に努めてきています。
今回の研修は卒園生を対象にした学童保育や「健伸の森」での自然教育の充実を図るための研修視察でもありました。
研修会のスタッフは、教員養成校教授や幼稚園・保育所の園長等、管理職を中心にチャーターバスでの強行スケジュールで、今年の春のように慌ただしい研修でした。
研修内容については報告書にまとめています。
この誌面では「天をつらぬく」という視点で急ぎ旅の様子を報告させて頂きます。

3月25日正午、羽田発フライト時間11時間半。

時差8時間、ドイツのミュンヘン到着。
その日からサマータイム。時計の針を7時間早める。
ミュンヘン空港からチャーターバスで約4時間、フィッセンのホテルに着いたのが夜中の11時30分。
小雨の翌朝、現地時間5時起床。
6時に残雪で化粧された山の裾野の古都を散策。
イースター休暇で賑わう商店街は早朝からオープン、ドイツ経済のたくましさに触れた思いがしました。
午後の幼稚園視察前に、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったノイシュバンシュタイン城の見学。
残雪が残る山道を40分、息を切らしながら登る。
険しい崖に貼り付けたように聳える芸術的な巨城でした。
本来、城とは戦いに備える要塞か、信長や秀吉のように政治的な権威を知らしめる為であるが、ルートヴィッヒ2世は作曲家ワグナーを招き、特有の美学で建築。
オペラ的発想で築城したそうです。
完成後、まもなく投身自殺…謎の人生の幕を閉じる。
城を築く人、それは「卓越した武人か?それとも類い希な奇人か?」に区分されるが、シュタイン城は富と権威を与えられた天才・奇人であるルートヴィッチ男爵が、天に向かってキャンパスを広げて描いたロマン絵画かもしれません。
今回の研修の計画にあたり、私なりのロマンがありました。
ドイツのフライブルグは大火事に見舞われ、廃墟になった歴史を背負った古都です。
火災のたびに街を囲むように植林をして、自動車規制をして排気ガスから街を守る環境整備都市としても有名です。
また落葉樹の森で、子どもたちが一年間生活をする「森の幼稚園」としても有名です。
森の子どもたちは生き生きと輝いていました。
フライブルグの大聖堂の尖塔は永遠の命の象徴として天を貫いて輝きます。
そして南フランスのバンスの丘陵に聳え立つ「フレネの学校」も、子どもの感性が歓声が天を貫く創立者フレネの「子どもと共にある生活の綴り」です。
フレネ学校は今回で4回目の訪問です。
学校経営の危機に何度も遭遇して、世界中からの基金で頑張ってきた「フレネの教育」を残すために「国立学校」に変わって以来、初めての訪問でした。
創設者セバスチャンフレネの教育を受けたカルメン先生には会えませんでしたが、非常勤講師として健在とのこと。
その実践指導法は今も踏襲されていました。
イースターの休日の水曜日に訪問できた関係で、じっくりと指導法について学べるチャンスを得ることが出来ました。
今回の研修で学んだことは、フレネ学校創立の時、フレネが直接植樹した樫の木が「パパフレネ」と呼ばれ、子どもたちのあそびランドになって天を貫いて枝を広げているように、健伸の子どもたちも土と太陽と緑と水に親しみ子どもらしく貫いて生きる大切さを再確認しました。
「子どもは、より子どもらしく」とは、しっかりと根を張り、まっすぐ背筋を伸ばし、手を大きく広げ、天に向かって正しいことを貫いて生きる子ども、虫や植物や動物と共に生きる優しさを共有できる子どもを育てるべく努めます。
各ご家庭にありましても本年もよろしくお願い申しあげます。



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