この暑さを吹き飛ばすロシアからの風

長期天気予報では、7月は日本列島が30度を越すということで真っ赤に染まっています。
梅雨がいつ来て何時去ったのかわからないうちに夏の訪れです。
近頃は気のせいでしょうか、地球温暖化の影響でしょうか、季節の変わり目、例えば春から夏へという境界線をあまり感じなくなりましたね。
日本は春夏秋冬の四季があって、生活は自然の気候に依存していて、日照りが続けば村中の人々が集まって雨乞いをする。
雨は自然の植物・動物にとっては「命の源』だけに「夏」は水への思いは強くなります。
いよいよその夏がやってきます。
7月16日が「海の日」です。そして8月11日が「山の日」です。
そのうちに「川の日」「太陽の日」「植物の日」「動物の日」ができて、さらに「地球の日」「太陽の日」も定められるかもしれません。
何よりも自然からの恵みに感謝し、自然と親しむ心を大切にする教育が問われます。

 

年長組のみなさんへ

 

いよいよ楽しみにしていた夏の宿泊保育ですね。
今年は大房岬からもっと山深い房総のチベットと云われる「君亀少年の家」に3年ぶりにもどります。
少年の家の入口から宿舎までの早朝の散歩に出ると、サルの家族に出会ったりします。
正面の玄関に面した広間の窓から広がる後楽園球場が入るようなすり鉢状の芝生の広場では、段ボールのボードにまたがって芝生の坂を滑り降りる子どもの歓声が響きます。
夜は満天の星を眺めながらのキャンプファイアー、天気の良い日は人工衛星の軌道を追うことも出来るそうです。
雨の日は大きな体育館とプラネタリューム館が用意されています。
300人は収容できる明るい食堂では、調理スタッフが工夫を凝らしたビュッフェスタイルの食事が提供されます。
小学生と同量のお替わりをするので調理スタッフも喜んでくださいます。
宿舎に到着すると、ユニフォームスタイルのスタッフから2日間の施設での生活のきまりについて説明があります。
幼稚園児も中学生も同じルールが適用されます。
8人用のベットのお部屋の整理・管理・そしてベットメーキングと翌日の清掃・トイレの使い方入浴の仕方・消灯の時間等々、丁寧に子ども用のマニアルで説明します。
子どもたちも真剣に聞き、そして質問します。
「夜中、いのししはへやにはいってきませんか?」
「カギは かけてるのですか?」
「みはりは いるのですか?」
「ごはんは おかわりできますか?」
「ハンバーグは 出ますか?」
年長になると、あらかじめ三つの生活ルールが課題になります。

  1. 自分のことは、自分でする。自分の持ち物は 自分で責任を持つ。
  2. 友だちに迷惑をかけない。
  3. 時間を守る。

君亀でのお泊り会は、この生活課題の実践の場です。
子どもたちに向かって「みんなが楽しく生活するためには、よく考えてこの三つを大切にしよう。あとは、元気に楽しもう」
そしてさりげなく「おねしょの心配はしないでも良い。先生たちが夜中にそっとわからないように手伝うから…」と付け加えます。
瞬間、子どもの緊張感が消えていくのが目にも見えます。
病院は宿舎が契約している街の病院に事前にご挨拶をして夜間診療もお願いしておきます。
さらに自動車で30分の距離にある有名な鴨川の亀田病院への手配もできます。
また幼稚園から看護士が二泊三日でご同行頂くことになりました。
時節柄、食中毒などにも気を配りました。
料金的に割高になりますが、ニ日間の昼食は、初日は少年の家の調理、二日目はシーワールドホテルでのカレーライス等を手配しています。
また往復の観光バスも 鎌ヶ谷観光社長のご厚意で幼児でも二人掛けのゆとりのある座席で、ベテランの運転手さんを派遣して頂くことになりました。
地震津波などの災害対策として、3年ぶりに君亀の少年の家に復帰しました。
少年の家も温かく迎えて下さいました。
ご家庭にあっても参加に当たって、一週間前から健康管理に充分配慮して頂き、楽しいお泊まり会が出来ますようにご協力下さい。

 

西野Japanの戦略

 

この暑い夏を払しょくするようなロシアからのワールドカップの映像に気を高ぶらしています。
数年前、テレビで黒人の子どもたちが、太鼓のリズムに乗ってダンスをしているイメージでボール遊びをしている天真爛漫な姿に魅せられたことがあります。
そのバネの塊のような国の選手たちが、日本と対戦するコロンビアの選手と知って、良くても3対1ぐらいと半ばあきらめていました。
そのコロンビアに日本のサムライチームが接戦で勝利しました。
あらためて地球儀でコロンビアを探しました。
南米の北西部に位置する人口5,000万人ほどの共和国で、ブラジルに接するサッカー王国と知りました。
試合は開始早々、日本は一丸になって、怒濤のようにコロンビア陣営に真珠湾攻撃を思わせるような攻撃を仕掛けました。
その奇襲こそ、相手のハンドを呼び込んだのだと思います。
あの3分間のミラクル戦法が、西野さんが監督として確信した戦略であり、その一瞬の奇襲がその後の西野ジャパンの活躍に連鎖したような気がします。
大会寸前に西野さんを監督として起用した協会の思惑が見事にあたったような気がします。
そして6月24日は、さらに格上のセネガル共和国との戦い。
このセネガルは国名すら聞き慣れないばかりか、アフリカの開発途上国程度の知識しかありませんでした。
地球儀でたどると、アフリカのサハラ砂漠の西南端に位置する人口1,500万人の共和国ということを始めて知りました。
この国の選手一人一人のしなやかさな技と身体能力は、素人目にも格上です。
このチームに、日本は正面から力でぶつかりました。
あらためて芝生の舞台に繰り広げられる「緻密さと華麗さと力」が織りなす「格闘技」は、大相撲の桟敷席で耳に出来る「バシ バシ」と肉体がぶつかり合う音がする肉弾戦に似ている感がしました。
10mを10秒台で走りきるスピードランナーが90分間のフルタイム、10kmの距離を全力で走り切るスタミナ戦を楽しんでいます。


友だち感覚でお子さんと話して見ませんか

6月は新緑が萌え、自然が躍動する季節です。
幼稚園もこの季節長雨が続くと、あちこちに水たまりができます。
年少さんはドロンコスベリに飛び出して、追いかける先生と鬼ごっこを演じたりします。
子どもにとっては枯れ枝のたまり場が忍者小屋になったり、狭い裏の通路があそびの秘密基地であったりして、目の届かない幼稚園の隅々が、子どもにとっての「パワーポイント」になるんでしょうね。
安全面、衛生面に配慮しながら、子どものボウケン心やチャレンジ心を沸き立たせる環境づくりも大切です。
数年前のことですが、4歳になったMちゃんが、私を見つけ駆けてきて、目の前でハイタッチ。
小さな両手を冠のように頭にかざしてかがむ。
くねくねと立ち上がり、パッと両手を開く…
「これ なぁんだ?」。
「わかった。チューリップでしょう」
「あたり〜っ」と両手で丸をつくって立ち去っていきました。
女の子ならではの身体表現。
なんともほのぼのとした瞬間でした。
ことしも絵の講師を兼任します。
子どもと一緒に絵を描いている時がとても幸せです。
絵を描いていると、子どもたちがよってきて、いろいろと話が弾みます。
先週も園庭の片隅でスケッチブックに色づけをしていると、年長のK君が「スケッチブック」をもってきました。

K「先生の絵、じょうずだね」「ぼくもかいていい?」
私「もちろん ウェルカムだよ」
K「じゆうに かいてもいいの? 」
私「すきなものを描けばいいよ。じゆうでいいよ」
K「せんせーしってる ぼくのママ うるさいんだよ」
私「それどういうこと?」
K「はを みがいた? おべんとう もった? いつも いうんだょ」
私「kくんが やるべきことをやらないから いわれるんじゃない?」 
K「ママはうるさい パパもいってるよ でもぼく ママだーいすき」「ぼく、いま おかねもちになりたいな」
私「どうして?」
K「だって ママが しあわせになれるから」
私「幸せって お金では買えないとおもうよ」
K「お金が あれば、マンションも電動自転車もかえるよね」
私「電動自転車? マンション? きみのものはかわないの?」
K「たからくじ 1まんえん あたれば、マンション かえるんでしょう」
私「ママも先生も K君の気持ちだけで うれいよ あたるといいね」

6月は父の日です。
「おとうさんありがとう」と感謝する日なのでしょうが、幼稚園でも「お父さんとあそぼう」のタイトルでお父さんのご来園楽しみにしています。
どうぞお父さん、お気軽にいらしていただき、お子さんとご一緒に同じ目線になって気軽にあそんでみて頂ければ幸いです。
子どもたちは、この日をなんとなくてれくさそうにしながら、ちょっぴり緊張して、実はとても楽しみにしています。
子どもにとっては、お父さんは、お母さんとはちょっと異なった存在なのかもしれません。
私も4人の子育て経験がありますが、妻の子どもへのかかわりは、自分のお腹を痛めて出産した自信からくる「思い」があるように感じます。
特に息子に対する「くすぐったいような父親としての子どもとの距離感」に比べて、母親は息子を丸ごと包みきれる愛着を感じます。あくまで我が家の子育て間ですが…
しかし、私のように父親の生活体験を持たない母子家庭で育った子どもでも、父親は「小僧の神様」で灯台の光です。
父親は、いざとなれば途を照らしてくれる羅針盤なのでしょう。
そこで、ちょっとお子さんとの距離感を感じるお父さんへのヒントです。
「子どもとあそぶ時は、子どもになってあそびましょう。」
あそびの真髄は「強者が弱者にあわせる」ことだそうです。
「お父さんはキャッチボールを楽しまないでコーチになっちゃうんだ」

小学生3年生の作文です。
散歩に出てブランコをこぎながら、お父さんの幼い頃の思い出や夢を話してくださるのもよいですね。
4歳ぐらいになると、わが子もこんなことを考えているんだとびっくりさせられることがあります。
「愛」について「友だち」について「幸せ」について、お母さんのことについて、そしてお父さんの仕事についても「話し合って」みてはいかがでしょうか。
この時期の子どもたちは、幼稚園で穴の掘り方、友だちとのかかわり方、縄跳びのとび方・木の登り方・直観力・思いやり・判断力を見よう見まねで学習していきます。
その過程でお父さんの人生のアンテナになる灯台の灯りは必要なのです。
これからの季節、日頃お忙しいお父さんが、アウト・ドアーなどでキャンプやハイキング、バーべーキュー等とお出かけになる機会が多くなると思います。
時間がとれないお父さん、仕事場にお子さんを連れて見学するなどは難しいことですかね。
電車に乗って仕事先の商店街やビル街、工場見学などを散歩してみるのはいかがですか。
お父さんが話してくれる現実と空想がミックスされているお父さんの即興話は子どもにとって最高です。
大人で云えば、定番通りの高級店よりも、時にはガード下の屋台の焼き鳥屋を好むように、子どもも同じ姿勢で大人が楽しんでくれる世界の法がずっと好んだりするものです。


〜創立期を想う 人物往来〜「運」とは良き人との出会い

久しぶりに国際色華やかな日本橋から新橋まで散策しました。
「楽しいところには、人が集まりおどおどすると吹きだまりになる」
そうですね、銀座は華やかでいつ来てもワクワクしますね。
昭和38年。東京オリンピックの頃、私は、新卒で京橋の広告代理店に就職しました。
当時の銀座通りには都電が走っていましたが、今以上に着飾った日本人で賑わい格式があり、深夜のタクシー争奪戦で活気に満ちていました。
ある日、街頭で易者に呼び止められて手相を見てもらいました。
「28歳で独立する運命腺が出ているよ。良い運を背負っているから、積極的に生きるといいね。」と言われたのが26歳。
翌年の正月、不思議な縁でオランダの豪華客船チルワ号に乗船して香港マカオへの旅にでました。
船中、大手カメラ会社の専務のお嬢さん夫妻との出会いが縁で、起業したのが28歳でした。
交通費にも事欠く日々、新宿で学生時代の友人と偶然出会い、彼の紹介で芸術教育研究所の多田信作さんを訪ねました。
幼児教育が注目されたこともありテレビ各社が子ども番組に力を入れ始めた時期、その中心軸にいた早稲田教育学部の先輩・多田信作さんとの出会いは、まさに天運とも言えました。
その日から芸研の所員待遇で、昼は幼稚園・保育園を巡回。
夜は芸研のアートスクールで現場の園長・教諭や指導者と幼児教育の基本を多田信作さんから叩き込まれました。
昭和44年。八王子の秋川自然公園の隣接地を利用した「子ども村」構想が浮かび、多田信作氏の推薦もあり応募。
子どもの宿泊構想案が採用されました。
企業への協賛訪問の結果、200名が宿泊できる大和ハウスの「子どもロッジ」、ぺんてるの「絵画村」、ヤマハの「音楽村」等も完成して、「子どもサマーランド村」の初代村長に就任しました。
この年の宿泊は62ヶ園800名近くの園児が、自然の中でカブト虫や沢蟹と戯れる川遊びを楽しみました。
26歳の時、易者に「良い運を背負っている」と言われた「運」は、私にとっては「人と仕事の出会いに恵まれる運」だったのでしょうね。
幼稚園の先生だった妻と出会えたのも最大の幸運でした。
脱サラをした会社でお世話になった黒崎真二社長夫妻に仲人をお願いして、母校の大隈会館で挙式。
入社時、黒崎さんには銀座・赤坂・六本木等の一流の華やかな舞台の表と裏の人間模様、そして、あそびと仕事の境界線から学ぶ直感力と感性の世界をすり込まれました。
昭和46年。「太陽と緑を子どもと共に」というタイトルで、幼児に囲まれて生活する私の日々の姿が雑誌に特集で紹介されました。
シンガポールの日本人向けの幼稚園の開設への誘いがあったり、NHK「歌の絵本、手をつなごう」の佐久間利直さんや、ピンポンパンの坂本新平さんとの出会いがあり、毎日が多忙でした。
静岡から健伸創立の片腕となった阿久津博君が訪ねてきたのもこの頃です。
そんな折、知人の紹介で船橋の武藤初男氏の再度にわたる訪問を受けました。
「農地解放で得た土地を幼稚園として地元に還元したい。」という相談でした。
物静かで誠実な武藤さんの人柄に説得されて、新婚間もない時期に市川から船橋に転居して、幼稚園設立に向けてゼロから出発しました。
昭和48年、木造3教室で幼児教室と児童教室の健伸学院を開園しました。
佐久間俊直(NHK手をつなごう)さんを初代園長にお迎えしました。
聖徳大学に喜田史郎先生を訪ねて開園当初の教諭を紹介いただき、順天堂大学の太田昌秀先生(体操世界選手権9連覇監督)から新卒の只野誠志先生(幼児体操)松岡一志先生(スポーツクラブ)を専任として紹介していただき、柴田衣子先生(幼稚園主任)、阿久津博先生(児童教室)が中心になってスタートしました。
また、足立区の幼稚園で実習中の根岸(青山)三重子先生との出会いもありました。
すてきな人材との出会いがさらに広がり、有名な御苑学園の仲田あつ子さん、文部省の高杉自子先生との出会いもあって、現在の健伸の教育課程の基盤を培うご指導をいただきました。
創立早々にもかかわらず、ユニークな教育がマスコミで注目・評価されました。
翌年、学校法人健伸学院として認可を受けました。
認可をいただくにあたり、私学審議員の松澤マサ先生へご挨拶に伺いました。
第一声「あらぁ やっぱり アキオちゃんだったのね」
無認可の一年間を叱責されながらも、快くご指導を頂きました。
さらに健伸行田幼稚園の開設にあたっても、松沢マサ先生から強いご推薦を頂きました。
幼い頃、市川で隣近所の縁で母が親しくお世話になり、私も抱っこされて可愛がっていただいたご縁でした。
昭和51年、健伸行田幼稚園を開園。
初代園長に喜田史郎先生が就任。
阿久津博先生が担当理事として基盤づくりを担いました。
学院長の石渡秀男さんは、自民党の副総裁であった川島正二郎代議士のご紹介で知己を得て、私が市川在住の時、建設省の専門委員として青少年の指導に当たられた実力者です。
「柴田君はいずれ大学まで創立するから皆で応援しよう」と自ら学院長を無償でお引き受け頂きました。
健伸学院創立時の多額の借入金の継承に加えて、行田幼稚園の新設建築資金を私学振興財団の融資に切り替えるにあたり、石渡秀男先生の側面からの援助がありました。
浜松からお招きした音楽講師の佐藤忠三先生。
ある日「園章の麦のように健やかに伸びよ」という願いを込めて園歌をつくりたいと話すと「今日、浜松に帰るまでに作詞して下さい」の一言。
私は別室に入り3時間籠って作詞。
佐藤先生はその場で曲を弾き、次の週に楽譜を持参されました。
絵画講師の合志幹雄先生は、私の中学時代の恩師で創立からの絵画講師です。
子どもたちに阿蘇山の雄大さを語り、一生阿蘇を描き続けた熱血漢です。
昭和女子大の理事長・学長であり、私学界総帥の人見楠朗先生には実子のように厳しく教えられ育てられました。
晩年の海外出張の折にはいつも同行させて頂きました。
ロシア・ヤスナポリヤーナのトルストイ学校での学びは、わたしにとっては人生観そのものに大きな影響を受けるほど感銘をうけました。
人見先生が吉田松陰が眠る松陰神社の人見家の墓地に埋葬されるまで28年間、昭和女子大で学生の授業を承りながら人見教育の真髄を学ぶことが出来たのもすてきな「運」との出会いでした。
人見先生の遺言は「風尚」。
「柴田さん。学校経営は門をくぐるとき漂ってくる私学としての風の香りが大切。それを『風尚』と呼ぶ。幼稚園には子どもらしい香りが漂うように努めなさい」
78年、人生さまざまなことが起き、様々な方との出会いがあり、ご指導をいただきました。
「人生に運があるなら、良き運とは人とのすてきな出会いの結晶である」と私は信じています。



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