目に見えないものを心で感じる

先日の会合後、ホテルのロビーで卒園生のお父さんと話す機会があった。
小学校4年生になった男の子がクラブサッカーで活躍する一方、受験を目指して塾に通い、友人とのコミュニケーションに悩むわが子とある程度の距離を置きながら見守る父親の話を聴くことが出来ました。
「母親はそうした息子に自然体で、幼稚園の頃のように激励したり、相談に乗ったりしている」
「父親である私は蚊帳の外で無口。子育てについては目に見えない部分についても不器用なんですかね」
「結婚当時から清潔好きの妻が、ドロンコになって遊ぶ幼稚園に真綿にくるんで育てている長男を積極的に入園させることにも戸惑いを感じた」
「その時もそれまでしても…と思ったが妻と息子に任せた」
「素足になる経験がなかったわが子が、幼稚園のドロンコ広場で腹ばいになって遊んでいる笑顔の写真を見ても、当時の私は戸惑った」
「良い運をつかむ子を育てる」「子どもはより子どもらしく」「考える子を育てる」「ドロンコになって遊ぶ」という幼稚園の教えを、今でも妻は自筆で描いて子ども部屋に飾っている。
最近になって長男が4歳の時に幼稚園で、銀砂をまぶして10日もかけて固めたドロ団子を入れた箱を見つけた。
このドロ団子の経験は「きっとこれからの彼の生きている力の真珠になると信じて見守っている」というお父さんの言葉を嬉しくうけとめました。
「幼児期に泥んこになって、頭と体と心が生き生きと輝いて遊んだ子どもは、9歳の頃にぶつかる高いハードルをクリアーできる」

内田伸子お茶の水女子大教授

あらためて幼児期のあそびの大切さと乳幼児期における母親の役割について考えてみたいと思います。
「人間の赤ちゃんは、お母さんの胎内で脳が著しく大きく成長しすぎて産道を通れない。そのため1年ほど未熟で生まれる」とポルトマンが指摘するように、他のほ乳類は産後すぐ自分の足で立つが、人間は立つのに一年、言葉を発するのに一年以上もかかる。
これでは自分で身を守り、自分で食事や排便が出来ない。
従って人間は、母親の保護期間が3年。
最近では男の子は母子分離は結婚後まで続くと言われます。
母親が絶対で、献身的イクメン父親でも子どもにとっては、母親が絶対の守護神である。
こんな事例があります。
3歳児の絵、題名は家族。
画用紙に左から右へ大きな○から小さな○が描かれている。
4つ並んだ中央の二つの大きな○が、ぼくとママ。
右端がおねえちゃんの○。
そして右隅に小さく描かれた小さい○は?
「めがね。パパだよ」
男の子は母親が絶対、母親も手に砂糖をまぶしてさするように育てる。
女の子は母親は手塩にかけて育てる。
従って女の子は母親のライバルになり相談相手になり強く頼もしく育つ。
「泣いた赤鬼」の浜田廣介は「強くやさしい男の子。やさしく強い女の子」と書き留めたが、やさしくやさしく育てられた最近の男の子に不安を感じるのは私だけだろうか。
従って、幼児期は女の子のほうが育てやすいのでしょうね。

子どもの描画の世界

年中5歳になる子どもたちは、理屈よりも感覚で行動できます。
従って目で見た物も心で感じた物も手で触った物もその時の印象で、心にイメージした世界を大切にしてこだわります。
いやな物はいや、ほしい物はほしい。
「どうして?」ときいても「すきだから」という感覚が先行します。
ですからこの年齢はたくさんの経験を広げることが大切です。
絵を描く時でも子どもは、自分の目で見た物、感じたものを大胆な描線で一気に描きあげます。
「遠い近い」や「大きい小さい」理屈では無く感じたままに表現します。
五重塔を描いてもかっこよいと感じた先端の五層が大きく描かれたりします。
そこで時々、このように描いてみようと提案します。
例えば大好きな先生のデッサン、足から描いてみることを提案しました。
だいぶ戸惑ったようですが、どのように描いたかは?
楽しみですね。
6歳年長になると伸長期、背丈が伸びて頭でっかちの5頭身が足が伸びて7頭身になります。
描画活動でも天と地の水平線が描かれます。
左を細く右を太く描いた坂道、手前を広く色濃く塗り、遠くを薄くぬることで奥行きのある遠近表現、空に浮かぶ雲の大小や形…
様々な角度からものごとを考えたりする柔軟性も出てきます。
水族館の魚群を見ている友だちを小さく描き、その姿を手前で描いている自分を大きく描く工夫もわかってきます。
こうした学習は
1.考える
2.さらに考える
3.イメージする
4.いろいろ工夫する…
という環境学習の場が必要です。
そのためには答えはたくさんある選択できる場が用意されてなくてはなりませんね。
暗記で学習するより、答えが複数あり答えに至る経路も複数ある問題を解くこと、考える習慣が大切です。
そうした意味で描画表現でも、自分の一番大切な部分を強調することを大切にしています。
例えば跳び箱を跳ぶ子どもの手指の表現、自転車を描くときの足の位置等…
自分が体験で得た感覚を表現する力が身についてくると、そのポイントが自然に表現されてきます。
この時期は、時間の感覚がわかるように、想像力も創造力も広がっていきます。
言葉が大人以上のスピードで獲得しているだけに、嘘と本当の区別ができる能力が、さらに豊に表現された子どもらしい絵が描かれていきます。
どうぞ、世界に一つしか無い子どもの世界。
一本の描線にも語りかけてくる子どもの心が表現されています。
お子さんの絵に語りがけて下さい。


冬は空から夢が降る

私はこのところよく夢を見ます。
明け方、ドラマのような夢を見ることがあります。
また夢の続きを見たりします。
面白い夢は時々、日記帳に書き留めたり、印象に残る場面をスケッチしておきます。

12月18日の夢。
子どもたちがどこかの素敵なステージに立っている。
私が太鼓をもって雲の上にいる。
突然の風が吹いて、大きな雲のプールに腹ばいになった幼い子どもたちが、下界を見下ろしながら地上のステージに向かっていく。
ステージのカーテンが虹になり、子どもたちが楽しそうに私に向かって手を振っている。
もしかしたら、前日の年長組の浦島太郎のオペレッタの印象が脳裏に残っていたのかもしれません。
12月のこのせわしい時期に、この年齢になっても日々の生活においても、子どもの世界のような幻想的な夢を見ることが出来てとても幸せです。

2017年もあとわずかですね。
今年を象徴する漢字は「北」でした。
「北」はシャープで、鋭さ・キレを連想しますね。
お相撲さんも北のしこ名が多いですね。
北朝鮮の脅威を象徴したのかもしれません。
私の「三年日記」を読んでビックリしました。
昨年もこの12月の日記、1日違いで子どもたちと雲に乗って下界を楽しそうに覗いている夢スケッチが描かれていました。
2年も続けて子どもたちに囲まれて同じような夢をみるなんて…
私の中学校の頃からの恩師、絵画講師の合志先生が怪我をされて、今年から私が園児と一緒に絵を描いています。
大学の講義とは異なり、子どもたちが絵を通して語りかけてくる世界(子どもの宇宙)を理解することが基本です。
私の半世紀にわたる経験からすると、今の子どもたちは未知の世界を生きる力を秘めています。
創造力も心の世界の映像も豊かです。
今までもサイドからお手伝いしてきましたが、子どもたちの秘めたる力にあらためてふれた一年でした。

年少さんが語りかけてくる。
耳を寄せるが、よく聞きとれない。
聞き返すことをためらって「そうだね。よかったね。」と適当に答えたりして反省することがあります。
音声は聞こえても、言葉・単語が聞き取れないのです。
今年はもう一歩踏み込んで「ごめんね。もう一度言ってみて」と子どもに聞き返しています。
絵を描く時の子どもは、つぶやきます。
そのつぶやきに耳を傾けると、一本の描線に驚くような表現があることにあらためて驚いています。
もっと心の表現する術を援助してあげたら、もっともっと子どもの心は、広がっていくことを感じたりしています。
子どもの主体性を尊重するということは、子どもを放置・放任することではありません。
我流ではなく、子ども同士のルールや運動など基礎能力を高めるサポートをすることで子どもの主体性が発揮できる途が開かれるはずだと反省したりしています。
子どもが自分の思いを絵で表現する・リズムにのって歌う踊る・ものを作る等の表現活動においては、より個性を発揮するための基礎基本の学習方法を極めていくことの必要性を感じ、来年はあらためて子どもとの学習を大切にしよう。
年長の絵画指導の時間では、画材の選び方鉛筆や絵筆の持ち方使い方を含めてデッサンを何度も繰り返して練習してきました。
「基礎基本を学ぶ世界」と「個性や主体性の重視」は、決して相反するものではありません。
子どもの世界は夢見る自由発想の戯れが許される世界です。
したがって型から入り型で子どもの個性を縛ることは、その子の主体性の芽を否定することになります。
私は子どもと絵を描く時「描画表現における基本の学び」と「ファンタジックな戯れ」の世界の大切にしています。
「サンタクロースが本当にいるの?」という質問に幼稚園児であれば「フィンランドであってきたよ。」
サンタ村で握手している写真を見せてサンタの真似までします。
小学校5年生あたりになれば、その子の心の判断にゆだねます。
ファンタジーと現実の世界で生活している幼児にとっては、不思議なことが多く質問することも多いのです。
子どもらしい戯れの世界で、時には一緒に楽しむことも大切ですね。
私は脚本家である三谷幸次さん演出の舞台劇が好きです。
あのテンポの良さは、三谷さんのイメージ軸がしっかりしているからこそ、その場のひらめきが躍動するのでしょうね。
ところで年長さんの表現発表「うらしまたろう」は如何だったでしょうか。
「浦島太郎が、助けたカメに迎えられ竜宮城での乙姫さんのおもてなし。約束を守らず、玉手箱を開けたらひげ爺さんになって現生に戻った。」という昔話。
この単純な昔話を126人の幼児が、あの狭いステージで表現する。
「主役を作らずどの子も3回以上は、ステージに立てる」という約束を基に、子どもたちと話し合ってお話作りを始めたそうです。
子どもが話し合って決めるれば話は広がります。
一週間前は、話がつながらなかった。
本番2日前の年少・年中さんを迎えてのステージ、年少さんも真剣に見てくれて、年中さんから拍手が出ました。
子どもたちの発想もさらに広がったようです。
そして迎えた本番の熱気。
昔懐かしいシブがき隊の「寿司食いねー」の曲に乗って、寿司屋に扮した魚たちが自分をネタに、シャリを見立てた枕の上にブリッジをして「いっちょあがり!」。
女の子が一番やりたかった白雪姫の継母と乙姫様の二役。
「世界で一番美しいのはだぁれ?」と乙姫様が鏡に映る自分に自画自賛。
したがって乙姫様が10数人、それぞれ鏡に写した表情が輝いていましたね。
元気の良い女の子も希望した海賊軍団。
日常と同じような松組女子パワーに、おされ気味の若殿様タイプのうらしまさん…頑張りました。
「がんばれ」の声援、どうやったらあの海賊軍団を倒せるか。
うらしま会議の結果、大ナタの武器で一撃、どうにか浦島が辛勝しました。
オペレッタというよりも吉本風の劇にならざるをえませんでしたが、何より子どもたちは楽しかったそうです。
狭い席で最後まで子どもたちの劇に参加して手拍子で激励してくださいましたことを感謝いたします。 
年中さんのオペレッタは、一年間実践してきた生活保育をオペレッタ風に構成しました。
日常の保育の様子を子どもたちが生き生きと再現してくれて、先生たちも楽しんでいる幸せなステージでしたね。
そして年少さんも私が夢の中で見た雲の上から子どもたちが降りてくるようなかわいいステージでしたね。
大きく成長した子どもたちにサンタさんとお正月さんが、ほめてくれるでしょう。
来る2018年はどのような年になりますか。
「夢」ある年にしたいものですね。
末筆になりますが、母の会をはじめ各ご家庭のご理解ご協力をもちまして2017年の生活保育を無事納めることが出来ました。
どうぞ皆様ご家族そろって良きお年をお迎えください。


ドングリは「実」それとも「種」?〜描画を通しての子どもとの対話〜

大人にとっては何かとせわしい師走を迎えますが、子どもにとって12月は流れ星のように夢がたくさん降ってくるファンタジックな季節です。
私の中学の時からの恩師である合志先生が怪我で静養されて、私が絵画表現の指導を代行することになりました。
あらためて子どもと共に生活が出来る喜びをかみしめています。
子どもが絵を描く時の教師の導入や言葉がけで、描く絵が輝きます。
例えば4歳児がウサギの絵を描く時は、ウサギを抱いたり触ったり感触を身体に刷り込んでから画用紙に向かいます。

心のキャンパスにウサギのイメージがデッサンされると、子どもはウサギを見ないで一気に描きます。
この描くまでの導入過程がとても大切です。
描画活動においても、子どもが成長していく道筋があります。

2歳8ヶ月頃までは、描線よりも言葉が先行します。
3歳のお誕生頃から子どもが描く描線に形が出てお話の世界が広がります。
人との関わりが見えてくる5歳の誕生の頃、子どもが描く絵に自分が描かれ、虫・動物・ママそしてパパが描かれてきます。
そして6歳のお誕生の頃になると、地平線が描かれ億を小さく手前を大きく描き絵に奥行きが出てきます。
この年齢の描画の過程は、描線・形・色・構図等の表現技法においても世界中の子どもに共通点が見られます。
2歳の前後に見られる線のつながり方やその形。
3歳の子どもが描く丸や渦巻きの描き方。
丸を描くとき、始点からの描線が結べない終点…
丸い顔から直接に手や足が描かれる頭足人間は、古代の土器や壁画に描かれています。
ハイハイから二足歩行、そして言葉の獲得…
子どもの描画の道筋に人間の発達の過程が表現されていきます。
また点から丸・直線で囲む四角や三角は手先の発達につながります。
年長児の絵画指導は、指先を使うデッサンを繰り返しています。
描画表現は文字による表現力を持たない幼児にとっては、大切な「心の表現」手段です。
それだけに子どもが描く一本の描線が、子どもの心の中に膨らんでいる気持ち「思い」の表現であり表出です。
年長児の子どもたちとの対話
「ドングリングリは実なのかな、種なのかな?」
「実でしょ」
「ドングリの木がドングリを落とすとリスがたべる」
「そしてリスは冬のために、あちこちに穴を掘ってドングリ(種)を埋めておくんだんだよ」
S君「リスって 頭がいいね」
M君「ちがうよ、リスはうめた場所わすれちゃんだ」
「そうだね。リスがわすれてくれたおかげで、ドングリは春になって芽を出して木になれるんだ」
「やっぱりね、たねだったんだ」
この話を脳にイメージできてる子は、絵の世界が広がっていくはずです。
ザクロの実を描くことになった。
「ザクロを食べたことがある人?」
誰もいない。
「ザクロって 食べられるの?」
「スーパーで売ってないから食べられない。」
「幼稚園の柿やザクロはの実は誰もとらないのに、いつのまにかなくなっているね。だれがたべるんだろう?」
「きっと からすだよ」
「ちがうよ。チッチとなくしっぽのながい鳥だよ」
「すずめがいっぱいとまっていたのをみたことあるよ」
「鳥が柿を食べて一番喜ぶのはだれだろう?」
「一番喜ぶのはザクロの木だとおもうよ。」
私の言葉に子どもたちは「どうして?どうして?」と身を乗り出してくる。
「鳥たちに実を食べてもらって、あちこちに種をまいてもらうんだよ」
「わかった。鳥に種をうめてもらうんだよね。」
「うめる?どうやってうめてもらうのかな?」
子どもたちの話が広がる。
「ザクロの種が、鳥のうんちにまじって土にまかれるんだとおもうよ」
「へぇ、やっぱりね。うんちなんだ。うんちだってよ」
「リジチョウ先生はいろんなことをしってるね」
「ネットで調べたんでしょう。」
「先生が小さいとき図鑑もないし、大きい人に質問して勉強したんだ」
このような話の導入経過があって、子どもたちはそれぞれザクロの枝の周りで自分の位置を決めて描き始めた。
子どもたちが描いたザクロは、熟した口を開いたきれいな色の実が描かれ、小鳥たちが群がる楽しい世界が色鮮やかに描かれていました。
先週、長野の円福幼稚園でも魚と柿とザクロを描きました。
長野県は四面を山に囲まれているので、海の魚には興味関心が集まります。
私が描いたアジの絵をのぞき込んだ子が「せんせいじょうずだね。この絵の魚おいしそうだね。うれるかも…」とほめてくれました。
研修会等で質問が出ます。
「子どもたちが絵を描くことがすきになるにはどうしたらいいですか?」
「子どもが絵を描くとき、そのつぶやきに耳を傾け、子どもの描く世界をくみとってほめてあげることです」
と答えています。
私もこの年になって5歳の子にほめられて、自分の言葉に納得しています。



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