がんばろう 明日はどうにかなるさ 〜ダメ先生への追悼〜

創立以来、絵画講師をお願いしていた合志幹雄先生が、立川の病院で88歳のお祝いを前に亡くなられました。
幼稚園の先生と昔の教え子に見送られて多磨霊園でお別れをしました。残念です。
先生は私たちと子どもたちに豊かな夢を与えて下さりました。
子どもたちは、伸び伸びと個性的な絵を描きます。
その基盤は阿蘇山を描き続けた先生のロマンの結晶で、健伸の保育の中で確りと継承され生きています。
合志幹雄先生は、熊本県出身で阿蘇連山を描き続けた山岳画家です。
私にとって先生は中学以来の絵の師匠でもあり、中学3年間の担任でもあり、私の人生を支えてくれた恩師でもあります。
この原稿も合志先生は苦笑されながら読んでくださると願って書いています。

昭和27年4月、市川市立第四中学の入学式。
私たち1年2組の担任は古びた学生服を着た合志先生。
「熊本県の阿蘇は私の心の故郷です。阿蘇の朝焼け・阿蘇連山の夕焼けは、私の心を大きく広げてくれます」
「私は、昼は中学の絵の教師、夜は早稲田の学生、休みの日は絵描き…」
「給料は安く、貧乏で食も貧しく、いつもお腹をすかしています。でも心は元気です。」
「苦しくても今を懸命に生きれば、明日は新たなる風が吹く。みんな毎日を元気に過ごしましょう」
と自己紹介されました。
合志先生への生徒たちの評価は、何でも熱心に受け止め、励ましてくれる兄貴のような存在。
そして保護者・家庭の評価は「たよりにならないが、子どものことを考えてくれる熱心な教師」
戦後の荒廃の最中、当時はどの家庭も貧乏で、子どもの教育どころではなかった。
八百や・魚や・傘や・下駄や・肉やそして農家…
どの家も子どもを労働力として「あて」にして、子どもを学校へ通わせなかった。
したがって、子どもにとって学校への登校は仕事から開放される場であった。
担任の合志先生は、寝不足でよく遅刻をされた。
朝のホームルームは担任不在で、規律外でよく問題を起こした。
その度に担任は、校長に呼ばれ注意をうけた。
合志先生は「ダメ先生」と呼ばれレッテルをはられた。
しかし子どもたちは、貧乏なダメ先生の熱血ぶりが好きだった。
給料も安く画材も買えず、キャベツをかじって生活していたダメ先生を、親に頼んで代わり番こに夕食に招いたり、食料の差し入れをしたりした。
ダメ教師のダメ組は悪ガキ集団だった。
下校時、腹を空かしてイモ・大根・スイカや柿・トウモロコシ畑に侵入。
その度にダメ先生は校長室に呼び出され、始末書を書かされた。
2年生の6月、ダメ先生がクビになるという噂が広がった。
校長室に出かけ「おれたちが がんばるから 合志先生をクビにしないでほしい」と校長と教頭に頼んだ思い出がある。
結果、合志先生の熱意・前向きの生き方を肌で感じた子どもたちは結束した。
家庭の協力もあって、クラス全員が登校するようになった。
夏休みはくず鉄集め・新聞配達・納豆売り等をして、修学旅行に全員がいけるようにがんばった。
作戦会議で臨んだマラソン大会もほとんどが頑張って上位を占めた。
学校の生徒会の役員に立候補したり、お互いに教え合って勉強もしたりした。
子どもたちは頑張ったし、ダメ先生も「今を頑張れば明日はいいことあるさ」と云いながら頑張った。
そして誰一人として落後すること無く卒業してできた。
ダメ先生は私たちが卒業した翌年先生を辞めて貧乏画家になった。
1972年、健伸幼稚園がスタートした時は市川からの園児が多かった。
東村山で新婚世帯を持った合志先生を健伸のスタッフとしてお迎えに伺った。
「子どもたちに九州弁で夢を語ってほしい。あのモクモクと噴煙を立ち上げる阿蘇山の勇姿を子どもたちに話して、大きな自然の力を子どもにすりこんでほしい」
「3歳から5歳の子どもがドロンコになってあそべば、やがて生きる力となり、明日への羽ばたきになる。絵を通して大きな心を幼い子どもたちに刷り込んでほしい」とお願いした。
子どもたちに絵を描くことを通して、多くのロマンを築いて下さった。
当時の仲間が集まると「おまえは大学まで行ったんだから、ダメ先生の面倒を見て夢を消さないように引き継いでほしい」と云われる。
合志先生の葬儀には、元気な4名が代表して参加した後の報告会。
「ダメ先生、生涯貧乏だったが、心は豊かだった」
「校長にはダメ教師で叱られていたが、俺たちにとっては命綱だったなぁ」
「どんなにつらいことがあっても『がんばろう!あしたはどうにかなるさ』と肩をたたいて励ましてくれた。あれは今でも肝に銘じているよ」
「幼稚園には先生の教えが生きている。どこかで個展と忍ぶ会を考えているよ」 
最近、マスコミでは類似の事件が次々に報道される。
「エリート元官僚が、引き込みダメ息子を刺し殺す」
「テレビ局常務のエリート親父の息子が交番を襲撃」
「80親父に50息子」「70世代に40世代」
親バカ故の現在社会の歪みを揶揄した話題がネットを賑わせたりしますね。
「高齢者たちがもたらした高度成長社会が、息子や孫世代を無気力化させているのではないか?」という意味でしょうか
「終戦直後の昭和は貧しさのどん底で這いつくばって生活していたが、今を頑張れば明日の風が吹く」という嵐の去った後の青空が輝いていた。
そして今ではパン屋に奉公したK君も大工に奉公したY君も農家に嫁いだMさんも、外車に送られてきたりする。
農地が開発されて裕福になった家庭に育った後継者たちが、引き籠もり現象に落ちる。
その数、推定で60万人。
家庭でゲームにふけり引き籠もりをしているという。
平成の31年間は、戦争も無く平和だった。
それだけに、国民全体の意欲が停滞したのかもしれません。 
2018年の人口動態統計が発表されました。
一人の女性が生涯に生む子どもの推計人数を示す合計特殊出生率は1.42で3年連続低下したようです。
ついこの間まで人口を維持するための出生率は2.07といわれています。
将来の人口減少が心配されます。
子どもを産むか否は、夫婦家庭の問題で政府や企業が音頭をとるものではないと思います。
夢を求めて大都会へ出てきた若者が巣ごもり・結婚をしない。
東京都の出生率は全国最低。都会の夢とは何なのでしょうか。
私たちの時代は、貧しくとも「この国に生まれてきて幸せ。この先生に出会えて幸せ。共に分かち合う友だちがいて幸せ」という温かき風が社会に吹いていた気がします。
「若者が家に引き籠もり、高齢者が元気に自動車に乗って外出して交通事故をおこす」マスコミは手ぐすねを引いて競って事故を取材し報道する。
結果、世の中に規制の枠が張られ頑張ろうと窮屈になる・夢とロマンが無くなる。
昭和と平成の軋みが、令和の子どもたちが育つ環境に過剰な保護と規制の枷(かせ)をはめすぎないように祈っています。


うさぎとかめの生き方

年長になって最初のお絵かきの時間。
園庭や公園の樹を描きました。
「木は生きているんだよ」
「傘のように広がった枝の下まで土の中で根が張って、水や養分を吸い上げて葉っぱの先まで送り込んでいるんだよ」
「森の中の木は、みんなの木が太陽の光を受けられるように、まわるくひろがるんだよ」
「さぁ、みんなの心の画用紙に木を描いておはなししてみよう」
「木が笑っているかな?踊っているかな?お腹をすかしているかな?」
子どもたちは、あらためて木に抱きついたり耳を傾けたりします。
心のキャンパスに描けた子どもたちは、画用紙とパステルで一気にパステルで大胆な線を描きます。 
ブランコや滑り台のある楽しい木、幹に水タンクが描かれた樹、小鳥や虫があそんでいる木、様々な樹木が描かれます。
森のロープに子どもの絵を一点一点を展示した後、一列に並んでそれぞれ自分が気に入った絵を選びます。
選んだ絵、選ばれた絵は、個々のアイデアとか発想など特性の良さを配慮されていて、私たちも勉強になります。
こうした過程を経験しながら子どもたちは、自分の目で自分の気持ちで他人の心や思いを理解するように育っていきます。
お友だちの思いを心に受け入れてあげて、自分のことのように考えてあげるという心が育っていく6月の年長の風景です。

【無償化実現ありがとうございました】

ご挨拶が遅くなりました、皆さんの願いを40万署名に綴って3年がかりで展開した幼児教育無償化の請願運動が実り、国会を通過しました。
皆さんのご協力のほどあらためて厚く感謝します。
中心になって運動してくださり卒園された保護者の方々には、感謝の気持ちだけでもお伝えできればと願っています。
無償化は10月から実施されますが、保育料の納付は従来通りの金額を郵便局の口座から引き落としさせていただきます。
皆さんが納付された保育料のうち、教育費(保育料)の一部として月額25,700円を上限とする全国一律の補助金を、船橋市から3月までに皆さんのお手元にまとめてお戻しすることになります。
詳しいことは市町村を通してお知らせすることになります。
当園は私立幼稚園ですので保育料も上限以上の金額がかかります。
その差額と送迎バス費用、教材費、給食費等の実費費用もかかります。
政府が発表している全額無償ではなくて、教育費の一部(25,700円)をそれぞれのご家庭に補助されるとご理解いただければ幸いです。
なお就園奨励費制度は廃止されます。
船橋市から家庭へ交付される私立幼稚園の補助金は、今年度に限り半額2万円の交付。
来年から中止になります。
この制度が実現することで質の高い幼児教育をうけられるようになったということになるよう、健伸学院のスタッフ一同より一層研修に努めます。

【谷川兄弟の活躍】

「今日は朝から怖かった。ずっと怖かった」
NHK杯体操競技会で優勝した谷川翔君のインタビューの一声でした。
競技の始まる直前、テレビのカメラに向けて戯けたサインを送る翔君を見て、逆に「プレッシャーで緊張してる?」と心配していました。
昨年のNHK杯、最後の鉄棒で落下して優勝のチャンスを逃した翔君が20歳になっての再挑戦。
私はテレビ観戦でしたが、チャンネルを変えたり戻したり緊張でドキドキしました。
それだけに最後の鉄棒の着地の瞬間、腰が抜けるほどほっとした状態でした。
120%の努力を積み重ねてたてた「目標」
死にものぐるいでつかみとった「栄光」
「やったぜ」という「自分への達成感」
20歳の谷川翔君は、苦しい練習の結果、素晴らしい体験ができました。
翔君が云うように、これからが大変です。
シュツットガルトで開催される世界選手権では、中国やロシア、アメリカの選手のレベルは遙かに高いそうです。
これから数ヶ月、今度は日本代表というプレッシャーを背負って死に物狂いの練習。
さらに人間として大きく育っていくことと期待しています。
2位になったお兄ちゃんの航君は「兄弟で世界選手権に挑戦する喜び」を語っていました。
弟とは言えライバルです。
後半追い込んで弟とのトップ争いはまさに僅差でした。
今回の日本選手権・NHK杯とも健伸スポーツクラブから三人の選手が登録された。
あの狭い体育館での思い出は身体に染み込んでいるのであろう。
技以前に如何なる世界であっても、トップとしての途を究めるためにたくましく成長していく姿に、まぶしさを感じました。
今原稿を書きながら「ウサギとカメ」のお話しを思いだしてます。
油断大敵の教訓話も今の時代、亀のようにコツコツ歩き続ける生き方が現代風の「働き方改革」からすれば異論もでえてくるかもしれません。
お兄ちゃんの航君は「ウサギ」としてオリンピックチャンピオンを目標としてこの大会に臨んだかもしれません。
ところが、目の前の階段をクリアーして実績を積み上げざるを得ない弟の翔君はまさに「かめ」でした。
結果的には二人とも仲良くゴールインできました。
二人は幼稚園時代、どんなお子さんでしたか?とよく聞かれます。
二人とも運動能力だけでなく翔君はスター性をもっていてお兄ちゃんは地道な努力家でした。
幼稚園から中学まで付き添って指導してきた倉島先生や木下先生が、二人のこれからの方向性も見えているのではないでしょうか。
お母さんを始め二人の教育には熱心で幼稚園の頃から様々な体験企画には積極的に参加していました。
なによりおばあちゃんを始めご両親が熱心で二人は、明るい家庭で育ちました。
最後になりましたが、5月の10連休に際して「先生たちもおやすみをとられたら…」とご理解をいただいた各ご家庭のご協力に感謝申し上げます。
先生たちも当番制で出勤して生き物の世話など当番でやりくりしました。
働き方改革でこれからそれぞれが多様な形で生活スタイルが交差していくようになります。
昔のように「太陽が昇って朝が始まり。日が落ちると共に、それぞれ家庭に戻り一日の生活が終わる」という時代は終わりました。
これからは多種多様な国々の人たちと肩を並べて、多種多様な生活スタイルのバランスを如何にとれるかが課題ですね。
朝日が昇る頃に帰宅して昼出勤。
夕刻出勤して明け方まで働くというクロスワードパズルのような生活形態の中で子どもたちをどのように育てるかが課題ですね。
24時間一定の有給休暇を保障されながら24時間を効率的に作業をする。
ウサギとカメに例えれば、コツコツ働く亀方式の生活から、ウサギのようにインターバルで働く方式になるのかもしれません。
それだけに「子どもは風の子太陽の子」という教育課程を大切にして「みどりと水と太陽と土にまみれてなお伸びる」環境を大切にしたいですね。


お父さんとあそぶ

大学で講義していた10年前は、話しながら次々に沸いてくるイメージを脳で組み立てて話すことができました。
ところが最近は、テレビ番組「笑点」の林家木久扇師匠のように指名された瞬間、頭が真っ白になってしまいそうな気がします。
ハイ!ハイ!と元気に手をあげていたサッチャンが「さぁどうぞ」と刺された瞬間、真っ白になってしまう状況に似ています。
したがって今は、子どもと会話しているときがとても幸せです。

K君「抽選会には、電動自転車をだしてね」
   「値段が高いからむりだとおもうよ」
K君「ゲームのかずをへらせば、どぉー?」
   「景品の数が少なくなるからムリだとおもうよ…」
K君「それもこまるね。ママが電動ほしいっていってるの…」
K君「郵便局のさか しってる? あそこたいへんなんだよ」

ビオトープの工事で小さな生き物をプールに移した。
そのままうっかりしていた。
大きな鯉を二匹いただき、只野先生がプールに放流した。
年長のM君「ただのせんせいにいって…ザリガニや金魚やヤゴが鯉に食べられちゃう」

4月の始業式。
年長になったK君、ヘルメットをかぶって追いかけてきた。
小さな声で「電動自転車にのってきたの。坂道も妹と三人乗りらくだったよ」「ババがママにプレゼントしたの。ぼくがたのんだんだ」
「よかったね」「うん すごくよかった」

ビオトープの件はまだ解決しない。
「M君になんて伝えたらいいんだろうか」

幼児教育は「人間の生きる力を育てる場」と思ってます。
「四つ」「五つ」と「つ」で数える「九つまでの年齢」の時に子どもは地中に根を張るように「人間力」を大きく育てます。
特に幼稚園で人との関わりを学ぶ「三つ」
友だちの心の中に自分を映す「四つ」
友だちと関わって自分をコントロールする「五つ」の年齢。
幼児期は心の発達も表現力も大きく成長していきます。
その成長の大きな視点は、周りを見る目、視野がずーっと広がってきます。
4歳のお誕生日を迎える頃から、友だちや家族・周りの人たちとの関わりが見えてきて、周りの人を受け入れられるようになってきます。
この年齢の成長が大切な役割をします。
国会でも話題になったヘッグマン教授は「幼児期における質の高い教育の重要性」をについて下記のように述べています。

1.「就学前に質の高い専門的な教育刺激をうけておかないと、その時期にしか発達しない能力が発達しない」
2.「就学前における能力の発達があれば、就学後における教育の効果は大きくなる」
3.「それが無ければ、就学後の教育効果は小さくなってしまう」

3歳から6歳の幼児期に、専門家が編成した「質の高い教育カリキュラム」提供されることで、幼児はこれからの人生をたくましく自信を持って生きていくためのアンテナを錬磨していくことになるということですね。
6歳までの学習は「まねび」です。
子どもの成長は周囲から優れた情報を集め、模倣する「学び(learning)」が大切です。
教え育てるよりも、自分で学んで自分を育てる方法を気づかせてあげるほうが力となるはずです。
子どもは成功と失敗を繰り返して成長していきます。
子どもの意見や質問に、私たちは耳を傾け、適切な助言を与えられるように努めたいですね。
この幼児期に友だちとじゃれあって学びあう経験が少ないと、応用力・創造性が問われる4年生の頃から中学生の時期に環境に適応できず、反発して閉じこもったりする心配もでてきます。
子どもたちが小学4年生になって「幼稚園で学んだことが役にたったなぁ」と実感できる幼児教育を目指しています。
幼児期は、空想したり工夫したり、それぞれのイメージをふくらませて夢中になってあそぶ年齢です。
他人の心に自分を投影して、友だちの心に自分がどのように映っているかを考える。
自分は何をすれば良いかを考える心が育つ年齢です。
自分の手でさわってみる・嗅いでみる・動かしてみる等のあそびの体験を重ねることで感性と表現力が育っていくのですね。
5歳になったら「自分でできることは自分で考え、自分の意思で行動しなさい」「やりたいこと・自分でできること・そしてやらなくてはいけないことをしっかり考えてあそぼう」と伝えます。
子どもは未知のものを「知りたい」「分かりたい」という本能的知識欲があります。
答えは無限にあるはずです。
みんな違っていいのです。
この「自ら育つ力」の種となる知識欲を萎ませてはいけませんね。
この知識欲は生きるための「意欲」につながります。
お父さんの出番です。
お父さんは途を照らすべき灯台です。
「ドラえもん」がのび太の灯台であるように、お父さんは子どもたちの途標になってあげてください。
お父さんとの遊びの中から、手加減やホドホドの意味など人との関わり方を学び、気づくことがきっとできるはずです。



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